「ドイツ人目線」で読んだ小説『関心領域』の特異性とは?文筆家マライ・メントラインが紐解く
小説『関心領域』の特徴とは何か?
まず、心理的駆け引きと欲望と抑圧的恐怖に満ちたストーリーを追うだけで、ナチス親衛隊組織の不可思議かつ不条理な力学を「時代精神の一つの象徴」として自然に掴めるようになっているのが印象的だ。 被害者側の代表として登場する強制収容所の遺体処理班(ゾンダーコマンド)の男も、従来のホロコースト系コンテンツに登場する煮詰まり系キャラクターの真髄ともいうべき存在感で、作中の心理情景に奥行きと説得力を添えている。また日本語版は田野大輔先生の監修により、ナチス関係用語や事実関係描写についても万全だ。 本作はある意味、流動性の激しい疑似アッパーミドル階層の成り上がり+マウント合戦劇である。至近距離で歴史的な暴力惨劇が繰り広げられている点を除けば、タワマンを舞台に家族間でのマウンティングや伝統的マチズモ、愛欲地獄が見事に超展開する韓国ドラマ『ペントハウス』などと共通点が多かったりする。逆にいえば、そういったお茶の間ピカレスクドラマ的な状況に自らを没入させることが、特にナチ体制の「汚れ仕事」系の関係者にとってはきわめて強力な「正常化バイアス」の武器となった、といえるだろう。 映画版でも、収容所司令官の妻が収容所邸宅をまさにタワマン社宅扱いしていて「ここを出たくないのよ!」とゴネる場面があったが、じつはそういった心理描写の緻密さと濃度は、小説版のほうが遥かに高い。また、ジェンダー問題を含んで閉鎖的人間関係のドロドロをこれでもかと突く面もあるので、読書会など行なえば、それこそ「ダメダメ登場人物ランキング」談議で盛り上がること確実といえる。
英国現代文芸が描く「ホロコースト心理」をドイツ視点で読み解く
忘れてはならないのは、もともと本書が「英国」現代文芸の精髄の一つとして評価されている点だ。先述した「わかりやすさ」「激しさ」「キャッチーさ」だけで、これほどの評判を得られるはずがない。 冒頭にはシェイクスピアの『マクベス』第四幕の一部が引用されており、早くも教養ありきで進行する深み感は存分にうかがえるわけだが、たとえば本書のなかでゾンダーコマンドが、自民族(ユダヤ人)にまつわるローマ時代以来の「戦い」と称される「迫害」について慨嘆した際に出現する「第三の国」の語なども見逃せない。あれは使用文脈からみて、中世の神学者フィオーレのヨアキムが理論づけた、聖三位一体の三要素がそれぞれ歴史の終末までのプロセスに対応すると説く「三時代教説」で使用される語である。 その三時代のラスト、つまり、キリスト教説でいう「至福千年王国」の陰画としての「第三帝国」の存在感がここで強く示唆されており、もうこれだけでご飯三杯いけるほどの知的滋養感だったりする。こういう触発要素をさりげなく仕掛けてしまうあたり、やはり只者ではないなこのマーティン・エイミスという作家。 ミハイル・ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』などと同様、本書は誰にでも容易に読めるが、そのうえで、要素を手繰りながらどこまでも深掘りできる作品ということか。じつに見事だ。 ドイツ人としてこの『関心領域』を読みながら、ひとつ痛烈に感じた点がある。それは「ドイツ人」として登場するキャラクターたちが、実際、内面的には極めて英国人っぽいということだ。これは知識とか言語の問題ではない。思考パターンと空気感とセンスの問題だ。 巻末の謝辞では著者が「当時のドイツ人の思考」について充分すぎるほどのリサーチを行なったことが読み取れるが、たとえば、本書の主人公にあたるアンゲルス・ゴーロ・トムゼン(ナチスドイツ軍人)と収容所司令官夫人が花壇でイイカンジになる場面で描かれている「ナチ」の心理と思考と世界視の感覚は、「現実は現実たる以前に設計としてこうあるべし」という演繹的・イデア規定的な思考と主張に走りがちなドイツ人に比べて、もうどうしようもなくイギリス経験論的であり帰納的なのだ。