112年続く日本最古の遊園地「ひらかたパーク」はUSJよりオモロイわ~
枚方といえば「ひらパー」
難読地名のひとつでもある枚方。平仮名で記載されることも多いが、平仮名の「ひらかた」を見て関西人が思い浮かべるのは、「ひらパー」こと「ひらかたパーク」だ。 【画像】鉄道と芸術家の街にポツンと置かれた東京の「北の駅」 某日、京橋駅から京阪電車に乗った。たまたま乗り合わせた車両は、「8000系車両」の4号車、2階建て車両の「ダブルデッカー」。5段ほど階段を登ると、床には防音仕様のカーペットが敷き詰められ、二人掛けのクロスシートが並んでいる。いつもより高い位置から眺める景色のせいか、めっちゃ気分がいい。 座席指定の特別車両・プレミアムカーは有料だが、2階建ての「ダブルデッカー」は追加料金なしで乗ることができて、特別感が味わえる。ええやん。お京阪。 香里園(こうりえん)駅で各停に乗り換え、枚方公園駅で下車。大阪側へ戻るように少し歩くと、大きな観覧車が目に飛び込んできた。来たぞ! 「ひらパー」。って一体、何十年ぶりやろう。 広さ約16ヘクタール、甲子園球場の約4個分の園内は起伏に富んでいて、最高速度70km/hのローラーコースター・レッドファルコンや、イタリア製のメリーゴーラウンド、ドイツ製のウェーブスインガーなど39種類ものアトラクションが存在する。春と秋はローズガーデン、夏はプール、冬にはイルミネーションやスケートなどが楽しめる他、野外ステージなどもあり、年齢を問わず楽しめる。 午前10時の開園を目指して、ベビーカーを押して歩いてくる親子連れやママ友のグループも多い。園内に入ると平日の朝ということもあってか、ゆったりとした時間が流れている。 「超ひらパー兄さん」などギャグとボケをかまし倒すCM戦略を打ち出している「ひらパー」なので、もっと尖(とが)ったイメージを想像していたが、意外にも近隣住民の憩いの場、という感じの遊園地だ。
日本で一番古い遊園地は、菊人形から始まった
「ひらかたパーク」は、継続している遊園地としては日本で一番古く、1910(明治43)年、現在の京阪電車香里園駅付近に「香里遊園地」として誕生した(※)。2万8000坪の敷地には梅園、菖蒲園、小料理屋などがあり、自然豊かな市民の憩いの場であった。当時は、関西圏の私鉄が競って沿線開発に乗り出した時代で、京阪電気鉄道も旅客誘致を目的に「香里遊園地」を造った。 同年秋、東京の両国国技館で人気を博した菊人形展を「香里遊園地」で開催、大好評となる。これが「ひらかたパーク」の代名詞となった「菊人形展」の始まりである。 菊人形とは、等身大の人形に菊の花の衣装を着せた菊細工だ。色とりどりの小菊を着物の柄のように配置することで、造詣(ぞうけい)の妙と菊の美しさを鑑賞するものだ。 1912(大正元)年には、遊園地が現在の枚方公園駅そばに移転、第3回菊人形展が開催された。1925(大正14)年ごろからはボートや飛行塔、滑り台など遊戯施設の整備も進め、秋の大イベント「ひらかた大菊人形展」を集客の柱とすると共に、遊園地としても人気を集めるようになる。 しかし、太平洋戦争が勃発、戦局の悪化により1944(昭和19)年には休園を余儀なくされた。営業を再開したのは1949(昭和24)年のことだ。 戦後のベビーブームを受けて、1953(昭和28)年にハリケーンコースターを導入したのをきっかけに、大バラ園、ミニ動物園、ひらかたファミリープール、屋外アイススケートリンクと施設を拡充。現在に続く「ひらかたパーク」の基盤が整えられていった。 ※東京の「浅草はなやしき」は1853(嘉永6)年開園だが、1944(昭和19)年に解体、1947(昭和22)年に復活していることから、継続して営業を続けている遊園地としては「ひらかたパーク」が一番古い、としている。