112年続く日本最古の遊園地「ひらかたパーク」はUSJよりオモロイわ~
「遊園地黄金期」から「冬の時代」へ
日本の景気が絶好調だった1970年代から1980年代は、関西の遊園地もまた黄金時代を迎えていた。京阪系列の「ひらかたパーク」、近鉄系列の「伏見桃山城キャッスルランド」「あやめ池遊園地」「奈良ドリームランド」「生駒山上遊園地」「近鉄玉手山遊園地」「PLランド」、阪急系列の「宝塚ファミリーランド」「神戸ポートピアランド」、阪神系列の「阪神パーク」、南海系列の「みさき公園」「さやま遊園」、そして大阪万博会場跡地の「エキスポランド」と当時、大阪近郊には13もの遊園地が存在していた。 私も子供の頃、休みの日になると、近所の友達とそのお母さん、あるいは家族で、これらの遊園地に遊びに行った思い出がある。行ったことがないのは生駒山上遊園地ぐらい。遊園地は、レジャーの王様的存在であったのだ。 しかし1990年代に入ると、バブルが崩壊。さらには商業施設や水族館などが近隣地域に次々と誕生し、遊園地に行く人の数が次第に少なくなっていく。 2001(平成13)年にはアミューズメントパーク界の黒船こと、USJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)が大阪市此花(このはな)区にオープン。これらの複合的な要因から、2000年代に入ると遊園地がどんどん閉園し、遊園地に冬の時代が訪れた。 (閉園順) ・伏見桃山城キャッスルランド 2003(平成15)年閉園 ・阪神パーク 2003(平成15)年閉園 ・宝塚ファミリーランド 2003(平成15)年閉園 ・あやめ池遊園地 2004(平成16)年閉園 ・神戸ポートピアランド 2006(平成18)年閉園 ・奈良ドリームランド 2006(平成18)年閉園 ・エキスポランド 2009(平成21)年閉園 (※PLランドは1989(平成元年)年、近鉄玉手山遊園地は1998(平成10)年、さやま遊園は2000(平成12)年にそれぞれ閉園)
金がないなら知恵を出せ!
バブル崩壊、そして少子化が進む中、「ひらかたパーク」は1996(平成8)年に大規模リニューアルを実施、「ひらパー」という愛称名で呼ばれるようになる。しかし、こうした大規模投資の効果も長くは続かず、加えて「ひらかたパーク」誕生時から続く「大菊人形展」が開催に莫大なコストがかかることや、菊師や栽培者の高齢化による後継者不足等が理由で、2005(平成17)年、惜しまれつつ終了する。 関西の遊園地が次々と消えていく中、「ひらパー」が生き残りをかけて打ち出した策が、大阪的にボケをかまして注目を集める広告戦略、「ひらパー兄さん」だった。「金がないなら知恵を出せ!」である。