112年続く日本最古の遊園地「ひらかたパーク」はUSJよりオモロイわ~
初代「ひらパー兄さん」誕生
2009(平成21)年4月、お笑いコンビ・ブラックマヨネーズの小杉竜一さんが、通年イメージキャラクターとして初代「ひらパー兄さん」に起用される。テレビCMやポスターなど、小杉さんの「ひらパー兄さん」は意外性と面白さで、大いに話題となる。 翌年には2代目をかけ、相方・吉田敬(よしだ・たかし)さんと「ひらパー兄さん選挙」を行うことに。吉田さんの父親が「ひらパー」を経営する京阪電鉄の社員であり、吉田さんもまた、子どもの頃から「ひらパー」に行っていたことから、「自分のほうが『ひらパー兄さん』にふさわしい」と立候補を表明した。 2人の本格的な選挙ポスターを作り、来園者投票を行ったところ、小杉竜一さん(現職)117,567票、吉田敬さん(新人)70,076票で、小杉さんが圧勝。2013(平成25)年3月まで「ひらパー兄さん」を務めた。 ってこれ、ギャグのような話やけれど、大真面目に行われたのだ。面白過ぎる。
「超ひらパー兄さん」は岡田准一さんに
小杉さんが「ひらパー兄さん」を務めていた時は、「スイムキャップ一斉着用人数世界一」「一斉にシャツの衿を立てる最多人数世界一」のギネス世界記録を達成するなど、かなり振り切ったお笑い・ギャグ路線のプロモーション戦略を行っていた。それ故、次の「ひらパー兄さん」は誰になるのか、今までの路線を踏襲するのか、注目が集まっていた。 ところが、小杉さんの後に登場したのが、岡田准一さんだ。枚方市出身の岡田さんがライブ中、「枚方生まれ、枚方育ちの僕のほうが『ひらパー兄さん』にふさわしい」と話したのを聞きつけた「ひらパー」のスタッフが、岡田さんに手紙を送り、次の「ひらパー兄さん」就任を要請する。 岡田さんは大阪育ち故、コンサートでも笑いを取ろうと思ったのか、はたまた真面目な思いで言われたのか、単なるいちびり(お調子者)なのか、そのあたりはよくわからないけれども、その一言からとんとん拍子に話が進んでいくノリの良さは、いかにも大阪的だ。 地元愛からオファーを快諾した岡田さんは、大阪城で行われたコンサートの最中に「超ひらパー兄さん」就任を発表、これがニュースとなって全国に報道された。岡田さんが「ワイがッひらパー兄さんでおま!」と「ひらパー」を宣伝するというのは、小杉さんの「ひらパー兄さん」を越える衝撃だったのを、私も覚えている。 こうして2013(平成25)年4月から岡田准一さんが「超ひらパー兄さん」に就任した。