ロータリーエンジンをメルセデスが本気で開発していた! 世界中から注目され数々の記録を樹立した実験試作車「C111」とはなんだったのか?
レコードブレイカーとして数々の世界記録を樹立
そして、1970年3月のジュネーブモーターショーでノーズやホイールベースを延長してより強力な4ロータリーエンジンを搭載した「C111-II」が発表され、最高出力350ps、最高速は300km/hを達成した。しかし、1973年の第1次オイルショックに端を発して、燃費や排気ガスに問題を抱えるロータリーエンジンの商品化の可能性は否定され、メルセデス・ベンツは1976年初頭ついに、ロータリーエンジンの開発を終了した。また、テストの役割を終えたC111-IIは当時のダイムラー・ベンツ社のミュージアムの倉庫に保管された。 しかし、1970年代半ばになり、メルセデス・ベンツは新しい5気筒ターボディーゼルエンジン用のテストベッドとして、C111-IIを倉庫から再び陽の当たるもとに引き出した。メルセデス・ベンツはこの倉庫から引き出したC111-IIに190psまでパワーアップした新しい5気筒ターボディーゼルエンジンを搭載した「C111-IID」を製作し、イタリアのナルドサーキットで1976年6月12日~14日にかけて速度記録に挑戦した。3Lディーゼルクラスのあらゆる世界記録を樹立するとともに、最終的には1万マイル(約1万6000km)を平均速度251.6km/hで走破した。C111-IIDがこれほどの記録を立てるとは、このマシンを開発した当時の記録チームも想定していなかったといわれた。 そうであれば、ボディを専用にデザインした本格的なレコードブレイカー(速度記録車)で挑戦したらもっと素晴らしい記録を残せるのではないか……。こうして誕生したのが1978年の「C111-III」であった。空気抵抗を極限まで低減することを目指したその姿はC111-IIよりさらに長く、低く、スリムなスタイルとなった。事実、空気抵抗はC111-Iに比べて48.2%と半数以下でCd値は0.157まで低減された。エンジンは当時の「300SD」に搭載されていた市販ユニットをベースに、ごく小さな改良が施されていたにすぎなかった。変更されたのは、記録のクラス分けを考慮して、排気量をわずかに縮小して3L未満に収めたくらいであった。満を持してついに1978年4月30日、イタリアのナルドサーキットで歴史的な記録が誕生した。ポール・フレール、グイード・モッホ、ハンス・リーボルト、それにリコ・シュタイネマンの4人のドライバーが駆るC111-IIIが連続12時間にわたるレコード走行において、見事に9つの世界記録を樹立したのであった。 そして、C111-IIIの速度記録樹立から1年後、C111-IIIをベースに1979年に「C111-IV」が製造された。空力性能向上のためフロントスポイラーと、飛行機の水平尾翼状の2枚のリアウイングと垂直尾翼状の2枚のフィンが取り付けられた。エンジンは「SL」用4.5L V型8気筒ガソリンをボアアップして2基のKKK製ターボチャージャーで過給される4.8Lエンジンが搭載された。1979年5月5日、この「C111-IV」はイタリアのナルドサーキットで、403.978km/hのナルドサーキット最高速度を樹立した。 時を経て2023年6月、北米のメルセデス・ベンツデザインセンターで、C111をオマージュした2シータークーペのEVコンセプトカー「ビジョン ワンイレブン(Vision One-Eleven)」が発表され、同年のIAAモビリティに出展された。EQのデザインコンセプトであるワンボウを受け継ぎ、横長のグリルやガルウイングドアなど、随所にC111をイメージしたデザインが施された。動力源はメルセデス・ベンツ傘下のYASA社が開発した高効率の軸方向磁束モーターをリアに2基搭載。この新開発されたモーターは既存のモーターよりもコンパクトで、同出力のモーターと比較して重量と体積が1/3に削減されたといわれている。 次回は、C111シリーズの各モデルを詳細に解説していく。
妻谷裕二
【関連記事】
- 【画像】伝説の「300SL」譲りのガルウイング! 幻の実験車メルセデス・ベンツ「C111」を見る(16枚)
- ◎2億5500万円は極めて順当。メルセデス・ベンツ「300SL」はどうしてガルウイングにせざるを得なかったのでしょうか
- ◎メルセデス・ベンツ「300SLプロトタイプ」で大クラッシュ! 名ドライバー「カラッチオラ」と名監督「ノイバウアー」の友情はいかにして終わったのか
- ◎2台しか作られなかったメルセデス・ベンツ「600クーペ」って知っていますか? 関係者へのプレゼント用に作られたモデルの正体とは【クルマ昔噺】
- ◎伝説のメルセデス・ベンツ「シルバーアロー」はなぜ勝ちまくれた? 公道最高速430キロ超を記録した名選手「カラッチオラ」の活躍を振り返ります