「遊女が主人公のマンガ」に女性が惹かれるワケ。描かれる問題は現代に通ずるところも
遊廓は劇的なストーリーを展開するための“舞台装置”
――遊郭を舞台にした女性向けマンガでは、主人公の遊女が遊郭で地位を獲得していくような、いわゆる“お仕事モノ”に近い側面も見受けられます。現代を舞台としたお仕事モノならば、転職や結婚、起業などの選択肢がありますが、遊女の場合はとにかく働くか、身請けされるかという厳しいシチュエーションを用意できるのかもしれません。そもそも、生活苦のために売られるというどん底に不幸な境遇も人々の興味を惹きつけるのでしょうね。 渡辺:そのお話を受けて話させてもらうと、作り手自身が必ずしも遊郭の歴史を掘り下げたいと思っているわけではなく、あくまでも劇的なストーリー展開ができる“舞台装置”として採用している作品は多いと思います。遊廓の中でも描かれるのは恋愛や仕事や人間模様のこと。つまりは、現代が抱える問題や意識を遊廓があった時代や場所に置き換えて、あくまでも現代性を描こうとしているということですね。 ーー読み手も作り手の意図と同様に、遊廓の歴史への興味というよりもストーリーに引き込まれているということですね。 渡辺:それから私は、世間一般の遊郭への認識って「無関心」なんだろうと思っています。ほとんどの人は遊郭や遊女に対して漠然としたイメージだけ持っていて、それ以上に深く知る必要は感じていないでしょう。 だからこそ、遊郭を舞台にしたコンテンツでは「吉原では火事で閉じ込められた遊女が何百人も死んでしまった」とか「当時のお金持ちがいくらで買った」とか「きらびやかな衣装を着ていた」みたいな刺激的なエピソードで盛り付けをしないと関心を呼び起こせない状態です。発信側が興味を惹きつける内容を選んで発信するので、そういった衝撃的な部分ばかりが目につくのだと思うんですよね。
大切なのは、遊廓で働いていた女性たちを“想像すること”
――近年では、YouTubeなどにも「遊女の生活」や「遊女の末路」といったコンテンツがアップされていますね。そういった刺激的な情報に注目が集まる一方で、渡辺さんは実際の遊女を取り巻いていた状況は複雑だったと話していましたが、マンガやエンタメコンテンツで描かれている情報がすべてというわけではないということですね。 渡辺:マンガ作品の場合はフィクションが多いですが、吉原で働いていたのは私たちと同じ一人の人間である女性たちです。なので私は、遊郭や遊女の情報に触れるときには、彼女たちのことを想像してみることが大事だと思っています。想像ってややもするとただの憶測になったりするし、「歴史的な知識がないのに想像だけするな」みたいなことを言う人もいるんですけど、でも、知識がなければ考えてはいけないってことではないはずです。 知識がないなりにでも、自分に置き換えて考えてみてほしい。例えば、家族のために売られて働かざるを得なかった娘や妻の気持ちとか、売らざるを得なかった父の気持ちとか。ひとりの人間の気持ちとしてなら想像できる部分はあるはずです。 娘を売ったお父さんだって小金を手に入れてほくそ笑んでいたわけではないでしょう。娘や妻を売る背景にあった一つの理由は、重い年貢を納めなければならないなど、克服が難しい構造的な階層や貧困といった当時の社会状況でした。厳しい暮らしを強いられた一般人の労働力やお金を、社会の中のより上位にある人が収奪していくという構造ですね。そうやって、構造的な搾取の仕組みがあったことは見落としちゃいけないってことですよね。 ――マンガやコンテンツを入り口に、さらに歴史の深い部分までを掘っていったらいろんな発見がありそうですね。さて、渡辺さんは実際に全国を巡って、遊郭を経営していた方の遺族や、その地域の人々にも取材をされていますが、その中で感じたことはありますか? 渡辺:都市部よりも地方の方が人との関係性が密だからか、地方に行くほど性産業に携わる人の背景まで慮っているように感じました。例えば、元遊郭の地域で食堂を営むお年寄りに話を聞いたら「親からは、遊郭で働いている人を馬鹿にしちゃいけないよって教えられた」と話してくれました。 つまり、自分たちが食えているのは、遊郭で働く女性がいるおかげ。そして、遊女たちは物好きで働いているわけではなく、その多くは売られてきた境遇なのだということを「想像」しなさい、ということですよね。