クルマが知能化するってどういうこと? 「Honda 0」が提案する新しい人とクルマの関係
人とクルマの関係性だって変わる
以上が、Honda 0 Tech MTG 2024で行われた、デジタルUXのデモと解説である。読者諸氏におかれては、あまりに各機能の性格が違ってイメージをつかみづらかったかもしれないが(記者も同じ)、まぁ基盤技術とはそういうもの。優秀な運転手さんにも、デジタル世代のキラーコンテンツにも、おっさん泣かせな昭和歌謡にも化けるというわけだ。逆に言えば、技術はそれそのものでは一個の機能でも完成された商品でもサービスでもないわけで、何者かになる前の段階でそれを毛嫌いしたり、いい/悪いと断じたりするのもヘンな話だよなぁと再認識した。 いずれにせよ、実際には自動車のデジタル化や知能化、通信技術の革新は、こちらの想像が追い付かないほどの可能性を秘めている。将来ホンダ車に実装される機能にしても、ここで紹介した程度のものでは済まなくなるだろう。イベント最後のQ&AでSDVの定義を問われたホンダの秋和利祐氏は、(細かい言い回しはうろ覚えだが)「ホンダ内でもSDVの定義には議論があるが、私は“将来の変化に対する備え”と考えている」という趣旨の回答を述べていた。せんえつながら、なんと正鵠(せいこく)を得た答えではあるまいか。そして同時に、それはデジタルテクノロジーの開発全般にもいえることではないかと感じた。 もうひとつ記者が考えたのは、クルマがオーナーについて学び、一人ひとりにパーソナライズ化される存在となった場合、私たちのクルマとの付き合い方/向き合い方も、今とは変わるのではないかということだ。黒柳徹子さんがロボット犬の「AIBO」を愛したように、知能化したクルマは今までとは違う愛され方をする存在となるかもしれない。 正直なところ、この考察は今初めて思いついたというより、4年前に「ホンダe」に触れたときから漠然と抱いていたものだが、今回の取材で「ホントにそうなるかも」と思いを強めた次第。記者などチョロいものだから、乗車時に「コンニチハ堀田サン」と言われただけでもまいってしまうことだろう。 新しい価値の提供というのは、必ずしも機能のみに由来するものではなく、それによって引き出される感情の動きもまたUXによる創造価値ではあるまいかと、柄にもないことを考えてしまった。かつて見た「ガレージにナイトライダー」「一家に一台ASIMO」の夢が、クルマの知能化で実現するかもしれない。 (文と写真=webCG堀田剛資<webCG”Happy”Hotta>/編集=堀田剛資)
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