県民がショック!沖縄のステーキに欠かせないA1ソース販売休止 もう味わうことはできない?輸入元を取材
A1ソースが広まった背景は
今でこそ沖縄県民のおなじみの味となったA1ソースだが、そのきっかけはアメリカ統治下の沖縄にあった。 徳富清次さん: キャラウェイ高等弁務官の時にAサイン制度ができました 1950年代にコザで開店したニューヨークレストランを継ぎ、沖縄ステーキ文化の礎を築いた徳富清次さん。 徳富清次さん: 給料日の1日と15日、金と土曜日はとっても忙しい。Aサインバーは朝8時オープンです。オープンしたらレストランはいっぱい飲んで騒いで。ステーキにA1ソースは必ずあった。もうたっぷりかけて食べる(米兵)もいたよ アメリカのステーキ店などにはA1ソースが置かれている。 徳富清次さん: アメリカ人が食べるものはみんな上等なんですよ。アメリカのステーキにA1ソースをかけたらおいしんだよって話して、そういう形で普及したんだと思うよ 本土復帰の頃にはステーキ店の創業が相次ぎ、沖縄県民も気軽にステーキを食べるようになった。 徳富清次さん: こどもの日だとか母の日になるとね、家族でステーキを食べに来ました。親がA1ソースをかけると「お父さん、私にもかけてちょうだい」って、食べていましたよ。家族でおいしく食べてくれたらね、こんなにうれしいことはないですよ ステーキと共に愛されて60年。徳富さんにはある想いがある。 徳富清次さん: A1ソースを輸入ものじゃなくて、沖縄県内で作って県内の人に愛してもらいたい。それが望みです 販売を休止している湧川商会も動き始めている。 湧川商会 仲松義光さん: お客さまの残念っていう声もいっぱいあるので、沖縄県民にこれだけ浸透して、やはり新商品をA1に近づけるではないですけど、それに変わる商品をいま開発中です。これは、私どもの使命だと思っているので A1ソースの思い出を胃袋に。わったー(私たち)島の新たな“わん(私)”のソースが生まれようとしている。 (沖縄テレビ)
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