「鼻綿棒」でPCR検査17回――カメラマンが体験した国際大会の感染対策とは
大会のプロトコル(規約)を確認すると、宿泊するフロアや食事会場をチームごとに分けることは確約ではなく、「できる限りやる」と記されていた。田口さんは「隣の部屋からアラビアの音楽が聞こえてきて、みんなで『絶対おかしいよな?』と言い合っていました」と振り返る。 国によって、感染症対策に対する意識の温度差も感じられた。日本チームはこまめな手洗い、うがいを励行し、消毒液の携帯、マスク着用を徹底した。だがあまり危機感が感じられない他国の選手もいた。田口さんは言いにくそうな表情でこう語る。 「日本人選手だけの大会ならもう少し安心だったかもしれませんが、バブルと言ってもリスクはありました。正直言って、怖かったですね」 日本代表は予選ラウンドを24年ぶりに突破する健闘を見せたものの、メインラウンドを1勝2敗、32カチーム中19位という成績で終えた。なお、出場国のひとつ、カーボベルデはPCR検査で2人の陽性者を出し、途中棄権している。
帰国後も代表チームの感染対策は続いた。日本の場合、海外から入国した者は公共交通機関を使用せずに帰宅して2週間の隔離生活を送らなければならない。ハンドボール日本代表もエジプトから成田空港に到着後、そのまま協会の用意したチームバスでそれぞれの自宅へ。選手は全国から来ている。バスは東京、名古屋、大阪、広島と経由して、最終的には福岡まで行った。福岡から家族が自家用車で迎えにきた佐賀や宮崎の選手は、自宅に帰るまで2日がかりだったという。田口さんを取材したのは、ちょうど2週間の自宅隔離を終える「バブル最終日」だった。 「ようやく大会が終わった感じでホッとしています。でも、日の光を浴びられないので、いつもより時差ボケが治らなくて苦労しています」 リモート取材のパソコン画面のなかで、田口さんはそう苦笑した。
メジャー取材の経験から
昨年、MLBの取材で3回渡米するなど、コロナ禍での海外取材は今回が初めてではない田口さん。そのときも日本との感染予防に対する意識の違いを痛感したという。 「アメリカのスタジアムでは、わざわざマスクを外して大声を出しているファンがたくさんいました。距離を置いて撮影していても、スタンドのファンから『撮ってくれ!』とフレンドリーにバシバシと体をたたかれたりする。陽性者の数もけた違いなので、自分も感染してしまうんじゃないかと不安でした。日本人はプロ野球の試合会場でも『大声を出さないで』と言われたらきちんと守る人がほとんどですし、世界の中でもすごく真面目なほうじゃないかと思います」 日本は入国時に2週間の隔離期間を求められるが、アメリカでは州や団体によってルールが違う。田口さんはその一つ一つを細かく確認し、自分ができる範囲で精力的に仕事をこなした。それでも、コロナの恐怖とは常に隣り合わせだった。 「アメリカでは同世代で仲のいいカメラマンがコロナに感染して亡くなる出来事もありました。でも、誰もが感染する可能性がある以上、ルールを守って自分で気をつけて身を守る以外にやりようがないと思うんです」 1年の延期になった東京五輪の開会予定日が7月23日に迫っている。 「東京五輪でもバブル・システムにするんでしょうけれど、日本の環境で短期間に構築するのは難しいのでは」 田口さんはこう考えている。 「ハンドボール世界選手権では取材に来るメディアの数も限られましたけど、オリンピックは世界中からたくさんのメディアが来ます。もともと東京五輪には選手村があっても、メディアビレッジがありませんでした。広大な敷地がない東京では、バブルをつくって人を1カ所に集めることは難しいのかなと。極端に言えば、お台場をまるまるバブルにするしかないんじゃないかなと思います」