義理の息子がレイプ容疑で逮捕...嵐の渦中にあるノルウェーのホーコン王太子とは?
父の代わり
高校を卒業した時点で、ホーコン王太子はすでに王位継承者だった。彼の祖父であるオーラヴ5世は1991年1月17日に亡くなり、そのため彼は18歳の誕生日にノルウェー議会(ストールティング)の前で誓いを立てた。「私は、憲法と法律に従って統治することを誓い、神の助けを求めます。」それ以来、ホーコン王太子は必要に応じて摂政を務める権利を有し、実際に何度もその役目を果たしている。例えば、2020年10月3日には、呼吸器系の問題で欠席せざるをえなかった父の代わりに、議会の開会式を主宰した。 学業面では、ホーコン王太子は海軍で4年間務め、そのうち1年間はベルゲンの海軍士官学校に在籍した。しかし、ホーコン王太子はノルウェーの伝統から一歩踏み出し、1996年にカリフォルニア州の名門バークレー大学に入学し、1999年に政治学の学士号を取得した。その後、2003年にはロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に進学し、国際ビジネスを学んだ。これらの学業については、「音楽や現代文学に情熱を注ぐホーコン王太子の興味とは異なる分野」と雑誌「Point de vue」は記している。
スキャンダラスな結婚
しかし、ホーコン王太子が最も注目を集めたのは、私生活に関することだった。2001年、彼はメッテ=マリット・トイェセム・ヘイビーとの結婚を発表した。ふたりはすでに2年間交際しており、彼女とは婚約していたが、問題があった。彼女は一般市民であり、4歳の息子(あの有名なマリウス)を持つシングルマザーだった。また、彼女の経歴が物議を醸した。ノルウェーのメディアは、1990年代にメッテ=マリットがオスロの夜の世界に通い詰め、さまざまな薬物を摂取していたことを報じた。若かりし日の彼女は過激で自由奔放な生活を送り、時には頭を丸刈りにすることもあったという。この彼女の過去には、国民も大きな衝撃を受けた。 しかし、メッテ=マリットとホーコン王太子の結婚の意思は揺るがなかった。彼らの結婚式は、予定通り2001年8月25日にオスロ大聖堂で執り行われた。その後、数年を経て、ふたりは2児をもうけた。2004年1月21日に生まれたイングリッド・アレクサンドラ王女は、父親の後を継いで王位を継承する予定である。そして、2005年12月3日には、スヴェレ・マグヌス王子が誕生した。こうして彼らは、現代のノルウェー王室を代表する家族となっている。そしてマリウスに対する告発に直面している今、彼らは一丸となって対処しようとしている。 text: Ségolène Forgar (madame.lefigaro.fr)
translation: Hanae Yamaguchi