「婚姻って何?」 ――同性婚訴訟で違憲判決、 原告の二人が問う結婚のあり方
国見さんも言う。 「判決は100万円の賠償請求については棄却でした。だが、僕らはもともとお金がほしかったわけじゃない。その意味で、事実上の勝訴と言ってもいい内容です。まさかという判決でした」 判決は、これまでの二人の生活を初めて肯定された感覚だったという。
交際開始から18年間の日々
「今日の夕食はたかしがつくった北海道名物ザンギ。鶏の唐揚げなんですが、衣がほかの地域のよりもカリカリなんです。たかしは料理がうまいんですよ」 国見さんが得意そうに言うと、たかしさんは「どうですかね……。まぁ、工夫はしていますね」と照れたように答える。
帯広市の集合住宅。ここに二人が一緒に暮らして約7年になる。教員の国見さんの異動に合わせて帯広に転居してきた。二人が交際を始めたのは2002年11月17日。その後、18年余りの日々を寄り添って生きてきた。 国見さんが同性への好意を初めてもったのは小学4年生のときだった。よその学校へ転校していった友だちに切ない感情を覚えた。当初は「熱い友情だと思っていた」が、のちにそれは恋心に近いものだと自覚した。 「明確に同性に興味があると確信したのは中学に入ってから。小さな日記に気になる男子のことを書いていたんですが、それは誰にも言ってはいけないことだと思っていました」 愛知県の大学に進学すると、名古屋の喫茶店で土曜にゲイの交流会があることを知り、通うようになった。東京の団体とも交流し、同性愛者などが集まるレインボーイベントにも参加するようになった。
一方、たかしさんも10代の頃から男性への興味はあったが、おぼろげなもので、はっきりとした自覚はなかったという。明確な自覚は20代前半。それでも「コミュニケーション能力に乏しい」ため、なかなか自分からアクションを起こすまでには至らなかった。 「ゲイバーのような場所も躊躇があって行けなかった。というより、ふつうのレストランとかも行けなかったので、どうしたものかと思っていました」 そんな葛藤をもったままの2000年秋、北海道新聞の「ひと」欄で国見さんのことを目にした。国見さんは大学卒業後、札幌に転居。雑貨店などに勤務しつつ、地元のコミュニティーFMで同性愛をテーマにした番組をもち、啓発活動をしていた。 記事を見たたかしさんは、ネットの掲示板を通じて国見さんにコンタクトをとった。2年後に札幌の繁華街で会うと二人はすぐに意気投合。互いに好意を感じた。2002年の秋、交際が始まった。