沙に囲まれた残酷な世界が私たちの社会を浮かび上がらせる。期待の作家が令和の世に送り出す、新たな青春のバイブル!
ファンタジーの世界から「令和」の世界を描く
物語の時代は近未来であり、いわゆる「ファンタジー」の手法をとるのだが、決して現実離れしたストーリーではない。無慈悲な沙によって人が住めなくなってきている残酷な世界は、ままならないこの世を象徴するかのようでもある。醸し出される空気感は、まさに僕らがいま生きている令和の世界そのもの。圧倒的な普遍性をも感じさせる、むしろ現代小説として読むべき価値のある作品なのだ。 物語の主人公は、過酷な状況の中で夢を追いかける少女だ。日常生活を侵食する沙に覆われた世界でも、就職活動は行われる。まったく未来どころか、明日の自分も見えない状況で、彼女たちはいったいどんな「将来の夢」を描くのか。第二部の主人公は現実を選びとる。それもまた人生なのだが、苛烈な運命と対峙したときに、ファーストプライオリティとは何なのかを深く考えさせられる。 ごく普通の日常が理不尽な理由によって突然失われる。これは未知の病原菌の脅威に晒されたコロナ禍の状況と大いに重なる。余儀なくされた非日常の暮らし。ステイホームにソーシャルディスタンス。手探りをしながらも、新たな生活様式を手に入れたが、失ったものも数知れない。とりわけ、本来であれば夢と希望に輝く日々を過ごせなかった若者たちにとって、この失われた数年間の記憶は生涯忘れられないであろう。過ぎた時間は葬り去りたい出来事ばかりであったかもしれない。しかし、その日々があるから今の自分があることも紛れもない事実である。結果を知ったお神籤を寺社の木の枝に結びつけるように、「あの時」の複雑な感情の糸を、こうした良質な文学に絡めておくのがいいかもしれない。
新たな時代に捧げる青春のバイブル
最高純度に研ぎ澄まされた、五感に訴えかける表現の巧みさも特筆すべきだ。光の粒子まで見せつける視覚、ザラっとした沙の手触りもさることながら、やはり強調したいのは「音」への言及であろう。「音楽は魚に似ている。人の身体は、水を湛える器だ。人はその身体に、魚を泳がせる」(P4)なんと詩的で美しい描写なのだろう。 登場人物の「音」に対する熱から、いつしか読み手も「音」の世界に引きこまれる。生まれてから初めて出会った「音」はなんだろう。僕らはいったい何を聞きながら成長したのであろうか。音楽と人生は切っても切り離せない関係だ。レコード、カセットテープ、CD・・・さまざまな音源が残っていることは幸いだ。地層のように降り積もったメロディーが走馬灯のように蘇る。読みながらきっと誰もが記憶の中にあった懐かしき「音」をたどるに違いない。 「音楽を仕事にしたい」と、第一部の主人公の少女は音楽隊に憧れる。音楽こそが、本物のライフラインであると信じているのだ。好きであることは才能だが、好きなだけでは生きられない。読んでいてこの文中の「音楽」は「文学」に置き換えられると感じた。人間の魂とが込められた両者は、どちらも人生を変える力がある。絶対的に後世に残さねばならない。そう、物語もまた人間が生きていく上で極めて重要な存在なのだ。著者の熱く強い想いが行間からも切実に伝わってきて、何度も何度も膝を打った。 「沙だ。沙がすべてを破壊した」 冒頭の一文を今一度、読み返してもらいたい。滅びに向かう不穏な空気から始まるこの物語は、地球のすべての生命を死に追いやった、人類の驕りに対する激しい警鐘を鳴らしている。文明を極めた先には何も残らない。命を呑みこむ沙に覆われた暗黒の世界。それでも人は絶望をしない。夢を追いかけ、自由を求め続けるのだ。 挑戦こそが、明日へと踏み出す力となる。抗えない運命だと分かっていても、絶対に後悔はしたくない。だから壁が高いほど、溝が深いほど、立ち向かう意味はある。足元が覚束ない沙地だからこそ、地に足をつけることが大切なのだ。 『沙を噛め、肺魚』は、僕らが抱えている不安の正体を解き明かす。そしてただ漫然と生きるのではない、人が人として生き抜くために必要な、雄弁なメッセージが全編から伝わってくる。まさにこの世になくてはならない新たな青春のバイブル。いま最も深く噛みしめたい一冊だ。 ---------- 鯨井あめさんの『沙を噛め、肺魚』は全国の書店にて販売中。 鯨井 あめ(くじらい・あめ) 1998年生まれ。兵庫県豊岡市出身。兵庫県在住。2015年より小説サイトに投稿を開始。2017年に「文学フリマ短編小説賞」優秀賞を受賞。2019年に「晴れ、時々くらげを呼ぶ」で第14回小説現代長編新人賞を受賞し、翌年に同作でデビュー。他著に『アイアムマイヒーロー! 』『きらめきを落としても』がある。 ----------
内田 剛(元書店員)