【退職代行は“正義”なのか?】若者の働き方に飛び交う「やさしさ」、本当に自分のためとなる選択とは
人手不足の中、職に就けない人も
確かに、現代の就職事情は人口減少による人手不足と働き方改革などの影響で、空前の「売り手市場」ではある。今や大卒者の就職内定率は86.0%に達し、企業が求人をかけても応募が集まらないケースは珍しくない。 ただし例外もある。「氷河期世代向けの求人」だ。氷河期世代のキャッチアップを目的とした自治体職員などの正規採用枠には事あるごとに応募が殺到し、倍率600倍というケースまである。氷河期世代だけは、変わらぬ氷河期のままだ。 これがどういうことかわかるだろうか。即戦力となり得るスキルや実務経験があれば転職も有利かも知れない。しかし就職氷河期世代には、「実務経験である」と社会から広く認められる仕事を、本人が強く望んでも決して得られなかった状況がありふれている。
成人後の年月は想像以上に早く過ぎる。いつでも「あの頃」に戻れるかのような錯覚だけを残したまま、体力も気力も信じ難いほど急速に衰え無理が出来なくなる。思わぬ病気などのリスクも高まる。親はそれ以上に老いてケアもお金も必要になる。 そうした中、いかに好景気であろうとも、ほとんどの企業は若者を欲しがり、中高年は豊富な知識や実務経験を持つ即戦力でもない限り敬遠する──。まさに今、氷河期世代が直面している現実である。 欧州には「地獄への道は善意で舗装されている」との諺がある。筆者の新著『「やさしさ」の免罪符 暴走する被害者意識と「社会正義」』でも、現代社会において一見して「優しさ」と見做される「易しさ」こそが問題を益々解決困難に導いている現状を記した。 場当たり的な「やさしい」言説で人気を集めるインフルエンサーや流行りの「正しさ」は、それらが勧めた選択の結末に何一つ責任を取らない。まして退職代行業に至っては、とにかく目の前の人間を1人でも多く退職させること自体がビジネスであり、「目的」「利益」そのものである。それらを十分に理解した上で、適切な利用を心がけるべきではないか。