10万部突破 養老孟司氏の集大成的1冊。変化し続ける世界をうまく生き抜く哲学本『ものがわかるということ』【書評】
大事なのは「わからない」を受け入れること
結論として、わかるとはどういうことか、となるが、本書を読んでもその答えがハッキリと書かれているわけではない。 八十代の半ばを超えて、人生を振り返ってみると、わかろうわかろうとしながら、結局はわからなかった、という結論に至る。(中略) 人生の意味なんか「わからない」ほうがいいので、わからないと気がすまないというのは、気がすまないだけのことで、それなら気を散らせばいい。私は気を散らすために、虫捕りをはじめとして、いろいろなことをする。今日も日向ぼっこをしていたら、虫が一匹、飛んできた。寒い日だったから、なんとも嬉しかった。今日も元気だ、虫がいた。それが生きているということで、それ以上なにが必要だというのか。(p.4~5より引用) と前書きにあることからわかるように、「わかること=何か」と表す必要などない、あるいはそんなことは不可能なのである。著者でさえ、わからないのだから。
本書には「わかりたい」人へのヒントも
ただ、私のように「わかりたい!」と強く感じるタイプはどうすればいいのか……? そんな人のためのヒントも本書には含まれている。最後に少し紹介する。 自然の中に身を置いていると、その自然のルールに、我々の身体の中にもある自然のルールが共鳴をする。すると、いくら頭で考えてもわからないことが、わかってくるのです。 自然がわかる。生物がわかる。その「わかる」の根本は、共鳴だと私は思います。人間同士もそうでしょう。なんだか共鳴する。「どこが好きなんですか」と聞かれても、よくわからない。理屈で人と仲良くなることはできません。(p.201より引用) なんとなく「わかる」の輪郭が見えてきたように思う説明だろう。つまり、頭と身体両方でしっかりと感じること、それが最も近道のようだ。 暑い時に冷たい水に触れると、「気持ちいい」という感覚が皮膚を通じて入ってきます。それを感じることが共鳴です。共鳴は身体や感覚で感じるものです。(p.203より引用) 所詮、言葉や説明だけでは本当の意味での理解はできない。何かを達成した時にしか「達成感」がわかることはないし、何かを失った時にしか「喪失感」がわかることはない。 キーワードは共鳴。そして、大事なのは「わかる」よりも「わかろうとする」こと、そして「わかった気にならない」こと。その姿勢を忘れずに、今後もさまざまな世界に触れていきたいと思う。 文=岡本大樹