中学の時に突然父を亡くし…その後、母は車いす生活に『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』自身の体験を力強くそして面白く発信していく理由とは
「ヤングケアラー」に対する奈美さんの考え
家族にケアを必要とする人がいる場合に、大人が担うようなケア責任を引き受け、家事や家族の世話、介護、感情面のサポートなどを行っている、18歳未満の子どものことを「ヤングケアラー」といいます。 母が車いすになった当時、奈美さんは高校1年生。ヤングケアラーという認識はあったのかについて聞いてみました。 「ヤングケアラーという言葉で表すとしたらそうなのかもしれないな…とは思っています。支援を受けるべきかもしれない困りごとを抱えている人っていう言葉としては理解できます。けれども、支援されるべきなのにされてなくてかわいそう、家族に障がいを持った人がいて不幸だという目線で見られることに違和感がありました。ヤングケアラーという言葉にかわいそうという意味が結びついている気がします」 そして奈美さんは母との出来事について教えてくれました。 「母が歩けなくなって『死にたい』と吐露し、それを聞いて私も一緒に死ぬと言ったことがあります。悲しいことでしたが、私と母の今の関係性からすると絶対あったほうがいい出来事のうちの一つでした。あれがあったから隠しごとが今ではまったくありません。どれだけ苦しいことがあっても打ち明けられる相手がいる幸福を知ることができました。だから私が自殺することは絶対にありません。『死にたいって思ったら、死んでもいいよ、それぐらいつらいのはわかるから。そこから一緒に考えよう』って言ってくれる人が身内にいる時点で私の人生は強いんです」と母との関係性を話します。 一方で「じゃあ母が車いすじゃなかったら、これって起きなかったことだよね」とも考えます。 「結局、その人生が幸せかどうかっていうのはヤングケアラーかどうかは関係なくて、その人が自身の過去をどう捉えて人生を生きているのかということだと思います。私はヤングケアラーだったとは思っていないし『ヤングケアラーでかわいそうだったんだね』と言われると、今でもめっちゃ傷つくし、怒るし悲しくなります。ヤングケアラーの子たちは最初は家族のことが好きでやってるんです。家族の役に立ちたい、喜んでもらいたい、周りの人はそこまで自分の家族のことを愛してくれないから自分だけは家族を愛したいと思っています。でもそのことに対して『かわいそう、大変、つらいよね…』と同情されると一瞬で心を壊してしまうんです。ヤングケアラーという言葉がその子の人生の価値を決める言葉であってはいけないと思います」