戦場カメラマンが「ウクライナ戦争の劇的なニュース」に感じた違和感
「数字で見る情報」から知る戦争
一方、現地から離れた日本にいる間に情報収集するときは、「数字で見る情報」で戦場を捉えることを意識しています。 現地で取材をしていると、今起きていることの全体像を把握することはできません。大きな流れをふんわりとしか摑めない中で、一人ひとりの話を聞いていくようなイメージです。 一方、離れたところにいると、具体的な数字で戦場を捉えた情報が次々と入ってきます。避難民の数や、戦争が起こってから何ヶ月で何人亡くなったのか。それを検証したのはどの機関か。 このように数字で捉えてみると、個別の出来事一つひとつがガチャン、ガチャンと連結されて、塊のように捉えやすい情報になっていきます。 ウクライナの首都キーウが再び攻撃を受けた、というニュースが飛び込んできたら、何人の犠牲者が出たのか。その弾道ミサイルの飛行距離は何kmか。その飛行距離であれば、どの地点から撃たれたと考えられるか。 現場の前線にいるときは、たった今撃ち込まれたのがミサイルなのか小型ロケットなのかもわかりません。それよりも、自分の身を守ることに必死です。 しかし、前線から離れて、安全な場所にいる間は、入ってくる情報を俯瞰で見ながら、冷静に起きたことやその規模を摑むことができます。 そうした情報を見るときは、情報の出所や正確性をチェックします。国連や赤十字国際委員会(ICRC)からの情報か。ウクライナ危機管理委員会からか。あるいはロシア側が出した声明か。同じ出来事について複数の出所からの情報を見比べてみると、少しずつ数字が違うことがあります。 比較することで、あからさまにおかしい情報に気づいたり、ある国や組織に有利な情報を流していないかと疑ったりすることもできます。 個人や現場から感じ取れる「生きた情報」と、俯瞰で大局を捉えられる「数字で見る情報」。両方を組み合わせながら知っていくと、さまざまな面が見えてくるはずです。