落合打撃からもヒント!東大野球部新監督の元中日・井手峻氏は42連敗中の東京6大学最弱チームをどう改革するのか?
東大の新監督にチームOBで元中日の井手峻氏(75)が就任した。東大の100年の歴史で初の元プロ監督。任期は2年。4季連続で勝ち星がなく、引き分けを挟んで42連敗中の弱小チームを元プロの井手監督はどう変えるのか?
他薦による公募で監督就任
日本武尊が創祀したとされる根津神社の入り口付近を歩くと、かすかに声がした。その脇道の坂を上がったところが東大野球部グラウンド。文化庁登録有形文化財に指定されている建築物で、筆者が大学時代に東京遠征で来た際に、このグラウンドを貸してもらったが、その面影は30年前と変わっていなかった。創部100周年を終えた東大野球部の歴史と伝統が染みついた場所である。 練習は、毎日、午前8時のグラウンドの掃除から始まる。 井手新監督は、「自宅を5時、6時に出ないと間に合わないし、腰を落ち着けるためにね」と、東大近くにアパートを借りた。アップ、守備走塁、バッティング練習と進み、全体練習は午後1時前まで。その後、居残りの自主練と続き午後4時過ぎてもグランドから声が響く。練習休みは週に火曜日だけ。 井手監督は、バッティング練習中に三塁ベース近くで始まった走塁練習を見ていた。打者の打球に合わせて「ゴロゴー」のタイミングやシャッフルなどを教える細かい技術指導。 「いずれは東大にすべてを還元しようとプロで勉強してきた。チームを作るという感覚ではない。細かい技術まで、全部、選手へ伝えるというか、やってみるというか」 部員は4年生を除いて現在84人。 「私たちの頃に比べて3,4倍は部員がいる。授業も行っている。体も大きいしね。週に一度、専門家にトレーニングを教えてもらっているようだ。リーグ戦は全試合見てきた。勝てないけど意欲はあるし守備なんかは上手くなっている。進化している。当然、野球に対する理解度も高い。あとは体がどう動くか、ということだね」 井手監督は、東大出身の元プロである。都内有数の進学校の新宿高から内野手として東大へ進学、途中投手にコンバートすると、めきめきと実力を発揮してエースとして4勝をあげた。1965年秋のシーズンには敢闘賞を受賞している。 1966年の2次ドラフト3位で中日に指名された。東大出身選手として初のプロ1勝を挙げたが、その後、外野手に転向。守備力のある器用な打者として重宝され、巨人戦では、サヨナラ本塁打も放って、当時の話題を集めた。実働10年で引退。その後、1年間、東大でコーチを務め、翌年から中日に指導者として復帰した。1、2軍の守備走塁コーチ、2軍監督などを歴任し、球団フロントとしても編成担当、球団代表まで任され、70歳となる2015年に中日を退団した。 その後、アマ資格復帰の講習会を受けて母校の新宿高のコーチ、東大でも2年前に福岡糸島の春季キャンプで臨時コーチを務めた。そして、今回、7年間、務めた浜田一志氏(55)の退任を受けて井手氏が100年の歴史のある東大の監督に就任することになった。 実は、今回は、東大OB会の会長が「公平にガラス張りで監督を選ぼう」との方針を打ち出して初めて東大OBから自薦他薦で監督を公募することになった。 「やる気はあるが年齢的なこともあって躊躇していた」という井手氏だが、同期のメンバーから他薦という形で背中を押された。役員会の面接を受け全会一致で井手氏に決定。その際「あなたの技術を伝承して欲しい」と伝えられた。OB総会で正式決定後、11月16日から井手新監督が始動している。 その所信表明ともいえる最初のミーティングで井手監督は「優勝」という心に秘めた大目標を口にしなかった。 「精神面の話は一切しなかった。技術の話しかしていない、今の若い人には、わけのわからんことを言っても通じないでしょ」 井手監督が、そこで話したのは、どういうチームを目指すかという具体的ビジョンだ。