【イスラエル取材記】「No Words」~はてしない憎しみの連鎖 戦争と共に生きる人々【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】
イスラエルとパレスチナをめぐる情勢が緊迫の度合いを増すなか、戦闘の発生当初から現場に入った記者は、そこで何を見て何を感じたのか? 放送では伝えきれなかった現場発の“リアル”をお伝えします。 (NNNロンドン支局 鈴木あづさ)
「言葉もない」 広場に置かれた無数のろうそくのそばに、ヘブライ語でひとことそう書かれたボードが置かれていた。ユダヤ人通訳は私にひとこと、「No Words」と訳してから、ろうそくの炎を見つめた。 今回の取材を一言で言い表すとしたら、これ以上にふさわしい言葉が見つからない。家族を殺された人、家族や友人を人質にとられたまま安否もわからずに眠れぬ日々を過ごす人、長年住んだ家を失った人、100人以上殺された虐殺の村を生き残った人――ともされた灯の1つ1つに命があり、家族や友人がいた。どんな言葉をもってしても言い表せない現実が、そこにある。
■「あなたはなぜ防弾チョッキを着るのか?」
私たちは、私は、知らなすぎた。家々にミサイルやロケットの被弾から身を守る「セーフティールーム」の設置が義務づけられている現実。すべての女性に2年間の兵役があること。広場でバイオリン弾きの奏でる音楽に合わせて踊る子どもたちの横に、ライフル銃を持ってフルフェースマスクをかぶった兵士がにらみをきかせている光景…。 警報が鳴っても、人々は決して騒がない。静かに黙ったまま、ただ足早にシェルターに避難する。決して「われ先に」と押し合ったり、駆け込んだりしない。女も、子どもも、老人も、いやおうなしに戦争に巻き込まれ、いつ落ちてくるともしれぬミサイルを心の片隅に置きながら生きている。この人たちは、戦争と共に生きているのだ、と思った。ずっとそうやって生きてきた。 ろうそくがともる広場で中継を終えると、「あなたはなぜここで防弾チョッキを着ているのか?」と男性2人組に聞かれた。「万が一の時に身を守るためだ」と型どおりの答えを返すと、彼らはふっと薄く笑って言った、「そんなもの、ミサイルから身を守ってくれはしない」。その通りだと思った。恥ずかしかった。