【イスラエル取材記】「No Words」~はてしない憎しみの連鎖 戦争と共に生きる人々【ロンドン子連れ支局長つれづれ日記】
■焼けただれたブランコ…耐えがたい光景
ガザ地区から最も近い虐殺が行われた村を取材すると、ぬいぐるみやサッカーのユニホームが銃弾を浴び、泥にまみれていた。布団からは綿が引きずり出され、庭のブランコは焼けただれ、玄関先におびただしい数の薬きょうが落ちていた。 庭先の小さな木のテーブルには、食べかけのクラッカーの箱がひしゃげた姿で残されていた。そこにあった人々の穏やかな生活が奪われた瞬間。耐えがたい光景だった。イスラエル軍の少佐は言った、「私たちは彼らを殲滅するためには何でもする。地上侵攻の準備はできている」。 人は圧倒的な現実を前にすると、言葉を失うのだと知った。虐殺の村を生き延びた人々は、今は避難民のために用意された宿泊所を仮の宿にしている。私はただマイクを相手に向けたまま、でくのぼうみたいに突っ立っていた。 それでも、彼らは話すのをやめなかった。涙を振り絞り、こぶしをふるわせながら、そこで何があったかを語り続けた。私は彼らに返す言葉を持ち合わせないまま、ただ一緒に涙しながらうなずき続けた。1人1人へのインタビューは、それぞれ何十分にも及んだ。 1人の女性に出会った。夫を殺され、家族の半分をなくした彼女は、私を見つけると寄ってきて、話を聞いてほしいと言った。避難所になっている宿泊所のロビーでソファをすすめると、「どこか静かな所に行きたい」と言った。
誰も使っていない、だだっ広い会議室のテーブルにつくと、彼女はいきなり泣き出した。夫のスマホに電話をかけ続けたこと。家に戻ると、玄関の外でスマホと一緒に夫が倒れていたこと。スマホには自分からの着信が何十件と残っていたこと。ハマスが乱射した銃の痕。燃やされた家々から運び出された数々の遺体…。 言葉がなくなると、彼女はまるで空っぽになってしまったような表情で宙を見つめた。立ち上がり、抱きしめた。自分の肩から嗚咽(おえつ)が聞こえる。初めて聞く声だった。体の底から湧き上がってくるような声。涙は後から後からあふれ、私の肩をぬらした。そして最後につぶやいた、「聞いてくれて、ありがとう」。互いに涙にぬれた目を交わし合った。質問らしい質問もできないままだったが、私は彼女の目に教えられた気がした。ただそこにいて、耳を傾けるだけでいい。そして、伝えてほしい、と。 ◇ 夜、眠れなくなった。どこかで重いバッグを下ろしたような、ドン!という音に、体がビクっと反応する。明け方、ごみ収集車がバックする音をミサイルの警報と間違えて飛び起きる。枕を抱え暗がりの中、もんもんとしたまま夜が明ける。カーテン越しにうっすらと差し込む光に安心して、つかの間まどろむ。 まどろむと、決まって何かから逃げている夢を見た。ミサイルでも、ロケット弾でも、兵士でもない。何か、漠(ばく)としたもの。灰色の、大きなもの。ぼんやりとした何かから必死で逃げている自分。目覚めた後も、その残像がくっきりと残っていた。起きてからも頭痛がとれない。無理やり朝食を押し込み、鎮痛薬を飲みくだす。