昭和100年へ キン肉マン原作担当・嶋田隆司氏、大見え切って「友情パワー!」と言えるのは昔からやり続けている僕らの特権 時がたつにつれて変わっていくところもあるけど絶対に変わらない芯も必ずある
昭和100年企画『キン肉マン』特集の第2弾では、その作者である漫画家コンビ・ゆでたまごの原作担当・嶋田隆司氏(64)が登場。昭和の末期に「キンケシ」の大ヒットなどで知られる一大ブームを築き上げ、平成、さらに令和への改元を経て今年で連載開始から45年。当時から約半世紀、漫画界の第一線で活躍を続けてきた立場から「昭和」という時代を振り返ってもらいつつ、作風にもたらした影響についてさまざまに語ってもらった。 ――嶋田先生にとって「昭和」のイメージとは? 嶋田「僕が生まれたのが昭和35年(1960年)、太平洋戦争で負けてまだ15年くらいしかたっていない頃ですけど、そんな暗い空気はみじんもなくて。特に4歳の頃に東京オリンピック(64年)、10歳の頃には地元大阪で万博(70年)もあって、むしろ日本全体が活気に満ちあふれていた印象でしたね」 ――そんななかで79年に『キン肉マン』が連載開始。作品誕生と当時の時代性に何かしら相関関係はおありだったと思われますか? 嶋田「そうですね。落ちこぼれだけど元気だけは有り余っているキャラクター。ギャグも含めて大阪っぽいと当初はよく言われたんですけど、それは僕らの子供時代の経験や思い出が詰まっていたからかもしれませんね。ドジで不格好だけどめげずに頑張っていたらなんとかなる。ただカッコよくて強いだけがスーパーヒーローじゃないぞ、というのを描きたい思いはありました」 ――作品の特徴としてプロレスとの関連は切り離せないものがあると思いますがこれもやはり影響が? 嶋田「もちろんです。当時は戦後の英雄・力道山が亡くなられた直後で、実はプロレス人気に少し陰りが見え始めかけていたんですよ。ところがそこでジャイアント馬場、アントニオ猪木というふたりの大スターが誕生し、爆発的に人気が再燃していきました。その盛り上がりを僕らは10歳前後の頃からリアルタイムで見て大興奮してきましたから、その原体験はふんだんに『キン肉マン』を描いていくうえで血となり肉となっています」 ――令和の今と比較して、そういう昭和のエンタメの特徴はどんなところにあったと思われますか?