幕末の福山藩主の「宿札」発見 広島・府中市上下町の旧家から 歴史の歩み伝える
中国放送
幕末に幕府側と長州藩が戦った「長州戦争」へ向けて進軍中だった福山藩主が「天領」だった広島県府中市上下町に立ち寄ったことを示す木札が見つかりました。 【写真を見る】幕末の福山藩主の「宿札」発見 広島・府中市上下町の旧家から 歴史の歩み伝える 木札は、広島県の府中市上下歴史文化資料館に収蔵されています。資料館によりますと、木札は「宿札」というもので、江戸時代に大名らが泊まる宿に、目印として掲げられていたと考えられています。 表面には宿泊者の名前が…。左は「阿部主計頭宿」。右は「奥平大膳大夫宿」と書かれています。 阿部主計頭は、福山藩阿部家9代藩主の正方のことです。正方は幕府からの命を受け、福山藩の兵を率いて、幕末の長州戦争に出兵しています。島根県に進軍する途中に府中市上下町に立ち寄っていたことは分かっていましたが、宿泊場所については、町内にある専教寺にしか記録が残っていませんでした。 それが、ことし4月、江戸時代後期に「郷宿」と呼ばれた幕府役人の宿泊施設だった旧家「高木家」から宿札が見つかりました。 府中市上下歴史文化資料館 守本百合香 学芸員 「このたび、こうした物が出てきたことによりまして、高木家でも阿部主計頭がまた別隊として泊まられたことが分かる貴重な資料になっております」 宿札には「丑十二月十一日泊」と、日付が記されています。第二次長州戦争の際に正方、または藩の兵が利用したと推測できるということです。 正方は、この直後に病気になり、戦地に赴くこともなく2年後、わずか21歳で亡くなります。そして福山藩なども長州戦争に敗れたことで幕府の権威は失墜し、時代は「江戸から明治へ」と大きく舵を切ることになるのです。 上下の町の歩みや、日本の歴史の1ページを語る貴重な宿札…。資料館はさらに詳しく調べて展示するということです。
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