なぜ?レトロな水族館に客殺到~アイデア満載の節約術
「怖いもの見たさ」を刺激&個性派揃いの飼育員たち
〇どん底からの復活作戦2~「キモチ悪い」を逆手に取る 深海生物の売りはそのキモチ悪さ。ならばその特徴をもっと強調すれば、より盛り上がると小林は考えた。 例えば「ウツボ」の水槽。以前は数匹入れていただけだったが、今は土管を吊るし「ウツボ」の数も倍に増やした。その結果、土管から「ウツボ」がウジャウジャ顔を出すホラー映画顔負けの展示となったのだ。 ホームセンターで買ってきたコンクリートブロックを組み上げて作ったのは魚のマンション。「アオハタ」の岩場に隠れる習性を利用し、出入りする様子を楽しむ。
土産用の煎餅はオリジナリティにこだわった。香りづけにグソクムシパウダーを使用した「超グソクムシ煎餅」(1200円)は、キモチ悪さをリアルに表現したパッケージにして売り出した。 ここでしか買えない煎餅は話題となり、土産物の中で売り上げナンバーワンとなっている。
〇どん底からの復活作戦3~飼育員も展示物 竹島水族館でよく見かけるのが飼育員と客が会話している光景だが、これも小林が狙ったものだ。 「竹島水族館は小さくてラッコもイルカもセイウチもいない。人気の生き物がいないんです。ここでは飼育員がそのポジションになっています」(小林) 飼育員には熱烈ファンまでついている。「サンちゃん」と呼ばれる三田圭一も人気者の一人。三田は魚を実際に食べてその味を解説看板で発表している。人呼んで「深海魚グルメハンター」。例えば「オオグソクムシ」は、食べてみるとエビやシャコに近い味だそうだ。 三田に限らず、竹島水族館の飼育員は個性を発揮しながら思い思いの活動に取り組み、ファンを掴んでいる。 「お金も知名度も人気もない。ないからこそいろいろな知恵が浮かんでアイデアが生まれて可能性があるんです」(小林)
魚好き少年から経営者へ~どん底で気づいた水族館の本質
この日、小林が訪ねたのは地元のアクアリウムショップ「ポセイドン」。小学生の頃から毎日のように通い、店の人や常連客と魚の話をするのが楽しみだったそうだ。 魚を好きになったきっかけは漁師の祖父・善吉。漁から戻ってくる時に珍しい魚を持ってきてくれたと言う。その後、熱帯魚を自分で繁殖させ、店に持ち込んでは月に4~5万円稼ぐこともあった。 「小学生とか中学生の時には水族館に勤められたらいいなと思っていました」(小林) 飼育員を目指して大学は水産学部に進んだが、当時、水族館の飼育員は欠員が出ない限り募集はなかった。2003年、なんとか潜り込んだのが、廃れていた地元の竹島水族館だった。 「水族館に入る夢はかなったのですが、反面『しょうがない』という諦めの気持ちもありました」(小林) ところが入社3年目の2005年、入館者数が12万3000人と過去最低を記録した。水族館は蒲郡市立で、事態を重くみた市は廃館を検討する。 このままでは天職を失ってしまう。そこで小林は立て直しのヒントを求め、自腹で全国の人気水族館を見て回ることに。しかし、資金のない竹島水族館が真似できるようなことはなかなかなかった。 そんな中、小林は水族館に共通するある課題に気づく。それは水槽の横にある習性などを書いた解説看板だった。どこの水族館に行っても、誰も解説看板を見ていなかった。 「水族館というのはそもそも楽しむ場所。わざわざ休日にお金を払って魚の勉強をする人はそうはいないことに気がついたんです」(小林) そこで思いついたのが、客が興味を持ちそうな手書きの解説看板だったのだ。しかし張り出した翌日、出社すると剥がされデスクの上に放られていた。 「『そんなことするな』ということ。手で書くなんてみすぼらしい。貧乏くさい水族館がもっと貧乏くさくなるから『やめなさい』と先輩に言われて」(小林) それでもめげずに看板を書いては貼っていると、次第に小林に共感する仲間が現れる。 2015年にはそんな仲間たちと一般社団法人「竹島社中」を設立。水族館の運営権を獲得し、館長にも選ばれた。これまでとは違い、業績が悪ければ職を失うリスクを自ら背負ったのだ。 「『責任を取らないといけないからやめておけ』と全員に言われました。『言ったやつを見返してやりたい』『いい水族館に勝ちたい』という気持ちが心の支えになりました」(小林)