五輪エンブレム撤回 会見(3)ネット社会でデザインの独自性確保は難しい
東京五輪組織委員会は1日、佐野研二郎氏がデザインした五輪とパラリンピック公式エンブレムの白紙撤回を発表した。同日行われた会見では、一転して取り下げに至った経緯や理由、1か月以上にわたった混乱の責任の所在などについて質問が飛んだ。 【中継アーカイブ】東京五輪エンブレム問題で組織委員会が会見 以下はその全文。
組織委員会として対応がお粗末すぎるのでは?
司会:いいですか。じゃあ別の方。水色のシャツの方、立ってらっしゃる。はい。 NHK:NHKのコセと申しますが、何点かあるんですけど、今のエンブレムが撤回されたことで、組織委員会としてグッズなどの発注かけてるものに影響するものがあるとしたらその状況を教えていただきたいのと、あとは、今までお話をうかがっていると、土日で状況が変わったと。これが直近のポスターのTは素人が見てもちょっと似てるという印象を持ったと。リエージュのは似てないとおっしゃるのはずっと分かるんですけど、それでいてデザインの専門家の意見は今後も尊重したいっておっしゃってると思うんですけど、そこがちょっと論理的におかしいんじゃないかなと思って。守るのであれば、ドットだろうと日の丸だろうと違うものは違うってお考えだったらこのまま貫き通せばいいという意見もあると思うんですけれど、そこの最大の違いがちょっとよく分からないんですけど。 武藤:永井先生も、専門家から見るとそういうことだけれども、この場合には一般の国民の納得を得るのは難しいでしょうというふうにおっしゃったと。そこが最大のポイントでございます。もちろんこれを使い続けたらいいじゃないか、専門家がそう言ってるなら使い続けたらいいじゃないかということも、私は理屈の上ではよく分かります。しかし、これを続けていくとおそらくいろんな批判が続いて、本当に原作者自身も、ご本人が誹謗中傷と言われたわけだけれども、大変大きな批判の中で心身ともに問題だと自分でも感じているという中から、取り下げるということをご本人がおっしゃったんですね。そうだとすればそれを尊重するというのがわれわれの正しい選択であろうと、こういうことであります。 ご本人が本当にこれは自信あるから続けてくれと言ったときに、われわれとしても本当にこれ、大丈夫ですかと思っておりましたけれども、永井さんもご本人もわれわれと同じように、これを使い続けることはやっぱり一般国民の理解を得られないだろうというふうにご判断なさった。それが非常に大きな理由でございます。 それから、発注かけてるとこっていうのはあると思います、いろんな形でですね。それがいったいどの程度のものであるのかっていうのは、まだわれわれ、把握しておりません。修復可能なものなのかどうか把握しておりませんので、先ほど申し上げたとおり状況を、なぜこういうことにわれわれが判断したかという状況を縷々説明した上でご理解を得たいというふうに申し上げているわけであります。 司会:それでは白いシャツの方、眼鏡を掛けた。その前の方。 日刊ゲンダイ:日刊ゲンダイのイマイズミと申します。よろしくお願いします。ご質問させていただきたいんですが、要するに一連のプロセスを見ていますと、武藤さんの会見のお話から、土日に新たな局面が生じた、新たな危機が生じたというふうに何度も繰り返してますけれども、結局金曜日のあの原案公表の会見によって、要するに新たな危機を生む材料を世間に提供したんではないかなと。その会見というのをなぜ開かなければいけなかったかといえば、ずっとこの1か月間、ベルギーとのロゴに酷似しているというあのマークを結局使い続けると。訴訟の問題も生じました。そのため、酷似していないということを主張しなければならなくなりました。それでああいった会見を開いて、しかも新たな材料を提供するに至った。あまりにも組織委員会として対応がお粗末すぎませんか。果たしてこの5年後、あれだけの国際的なイベントを開かなければいけないんですけれども、あなた方に任せていいのかっていうのがおそらく国民の正直な意見なんじゃないでしょうか。その点についてどうお考えですか。 武藤:リエージュのロゴに似てるかどうかっていうことについては、われわれは自信を持って似てないっていうことを申し上げております。その理由を早く明らかにしたほうがいいということについては、われわれはずっと思っておりましたけれども、訴訟になっているということから、訴訟の手続き上、訴訟の弁論が行われる前になんかいろんなものを出していくのは控えたほうがいいのではないかという、訴訟を実際に対応しておる法律家からのご忠告もありました。しかし、そういう事態の中で、確かに時間がたったのは、佐野さんの当選した当初案のものを示す時間がたったのは確かでありますけれども、一方でそういう事情があったということは、これは客観的な事実であります。 そこで、しかし日本の中でリエージュに似てるということを強く言う人たちもいるのも事実でありました。これはもう皆さん方、ご承知のとおりであります。そこでそれがコンセプトとしてまったく違ったものであるということは、言うことは、対応としては必要であろうという判断をいたしました。その結果、原案にまた似たものが出てきた。これは私どもはむしろやって良かったと思っております。あれがやらなかったらどういうことになったんだろうかと。その、ずっとしばらくたってからまた、こんなことがあった、あんなことがあったというように物事を引きずるよりは、やはり公開したほうが良かったと思っております。公開がもっと早くできなかったというご批判は私は甘んじて受けますが、しかしそれには、訴訟戦略上の問題があったということをご理解いただきたい。 結果においては誠に残念なことになりました。その意味ではわれわれも大変申し訳なく思っております。国民の皆さまにもそういう意味でご迷惑を掛けたというふうに思いますけれども、これを1つのけじめとして、新たなエンブレムの作成に全力投球していくというのが、現時点における最も望ましい対応ではないかというふうに思っております。