<CLOSE UP HUMAN>ミキハウス・桜井俊貴 ブランクも味方に「勝つことが一番の恩返し。1イニングずつ丁寧に」
やりがいはあった。だが、それ以上にやりたいことがあった。7年間のプロ生活を終えて2023年にスカウト就任。観客席から見た社会人野球に心が動き、現役復帰を決意した。入社1年目のオールドルーキーが東京ドームに戻ってくる。 文=小林篤 写真=小林篤、BBM 【選手データ】桜井俊貴 プロフィール・NPB通算成績
空白期間がもたらした投球への支障と功名
もう一度、選手としての道を歩き出した。2016年にドラフト1位で巨人に入団、22年限りでユニフォームを脱いだ桜井俊貴は今、ミキハウス野球部の一員としてマウンドに立っている。1年間のスカウト勤務を経て、現役復帰を選んだのだ。 昨年はダイヤの原石を探し回った。関西地区を担当し、時には山陰地方にまで足を伸ばした。電車に揺られ、ハンドルを握りグラウンドに向かう。撮影したビデオを編集、レポートを作成し提出。1日が終われば、また逸材を探しに次なる場所へ。「1年目で分からないことばかりで迷惑もかけて、勉強をさせていただいて。すごい貴重な時間でした」。チームの未来に関わる仕事。第二の人生はやりがいがあった。その上でなお、再び白球を握ることを決めた。 心を動かしたのは社会人野球だった。1年前、スカウトとして都市対抗予選に足を運んだ際、目の前で繰り広げられる攻防、スタンドの熱気に「もう一度やりたい」と選手としての火が心に灯った。スカウトとして多種多様なキャリアを積む指導者と出会ったこともまた、きっかけだった。「社会人野球を経験してなかったので、自分の中でちょっと(その経験を)持っておきたいなって。面白い人間のほうが、世の中には必要とされてるかなと感じたので、そういう生き方もいいかなと」。現役復帰を決断したのは昨年11月。スカウト陣の1年の集大成とも言えるドラフト会議まで職務を全うした。激務の傍ら、現役復帰に向けた準備はとても行うことはできなかった。 ミキハウスを指揮する陣田匡人監督(中京大)は、桜井の投球を初めて見た昨年11月当時を振り返る。「これはちょっと、指が全然ボールにかかってないぞと。本人に聞くと『トレーニングとかジムには行っていますが、投げることは一切してません』と」。空白期間の影響はあった。短距離をダッシュするにも、力の出し方が分からない。投球にも支障は出た。「もうちょっと力が入れられるかなと思っても、入れられない感覚が続いて。投げる瞬間に力が入らない」。 ただ一方で、ブランクがもたらした副産物もあった。ケガや違和感こそなかったものの、連戦のペナントレースで肩肘は疲労が蓄積。「リハビリ期間を過ごしたみたいな感覚」と1年の休養がプラスに転じたのだ。「どこまでできるか不安はありましたけど、実際に1月に入ってみて、投げることに関してはできていたので、『これはいけるかな』と」。公式戦初登板となったJABA四国大会では4月5日の明治安田生命(現明治安田)戦で6回4失点(自責3)。以降もマウンドに上がり、感覚を徐々に取り戻していった。そして、心を動かした舞台で圧巻の投球を見せた。