「AIに脅威を感じていない」「真実はネットに落ちていない」朝日新聞と共同通信の現役記者が語ったノンフィクションの強み
世間には大きく報道されることのない事件や事故がある。 震災など被害が大きくなればなるほど埋もれてしまう声もあることも事実だ。 さらに被害にあった方や亡くなった方の一人ひとりの人生にまで踏み込んだ記事はそう多くはない。 そうした“名もなき人”に焦点を当てたノンフィクションがある。 一つは朝日新聞の記者でルポライターの三浦英之さんが、東日本大震災で亡くなった外国人の足跡を追った『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)。 もう一つは共同通信の記者・武田惇志さんと伊藤亜衣さんが、身元不明で遺体の引き取り手もない死者の半生を追った『ある行旅死亡人の物語』(毎日新聞出版)だ。 身近な人の胸にしまわれたままの想いや、噂話でたち消えていく人物に迫った現役の記者二人が、取材の醍醐味やテーマの見つけ方、執筆スタイルなどを語り合った。
どストレートな社会部記者として
武田 三浦さんは『涙にも国籍はあるのでしょうか』を書く上で、構成として「ファクト・ファインディング」の過程を見せていく「物理的な旅」と、事実を知ったことによって自分がどう変わっていくのか、という「内面の旅」があるとおっしゃっていました。柱となる「物理的な旅」だけでなく、「内面の旅」という言葉もまた、すごく重要なコンセプトだなと思います。過去作も拝読すると、三浦さんの中で、「死」はひとつの大きなテーマだと思いました。前作の『太陽の子』では、冒頭で南アフリカの洞窟で新種のヒト属の骨が発見されたことについて触れていましたよね。なぜ洞窟内に骨があったかというと、それは、死者に向けた儀礼行為である、とも書かれていました。『涙にも国籍はあるのでしょうか』という作品は、“葬送”のようにも感じました。こうしたテーマはずっと温められていたんですか。 三浦 僕はいつも「生」を描きたいと思っていて、それには死が切っても切り離せない。死があるからこそ、生が浮き彫りにされる。もっと具体的に言えば、僕は武田さんと同じように、名もなき人の生を描きたい。名もなき人たちの生が、つまり僕らのような名もなき人たちの物語の集合体が僕は「時代」だと思っているからです。さらにそこから、日本人とは何か、日本とは何か、が見えてくるのではないかと考えています。 武田さんは、取材のどの段階で、『ある行旅死亡人の物語』は1冊の本にできると確信しましたか?