「AIに脅威を感じていない」「真実はネットに落ちていない」朝日新聞と共同通信の現役記者が語ったノンフィクションの強み
武田 いや、そもそも「記事になるかな」ってレベルで、取材を終えた段階でも出口を見つけたという手ごたえはありませんでした。記事を配信したところ、僕が取材中に感じていた興奮や、ファクト・ファインディングの過程を読者の方に楽しんでもらえたおかげで、書籍化のお声がけをいただいたという流れでした。 三浦 『ある行旅死亡人の物語』の執筆時はどういう生活だったんですか。 武田 僕は夜型で、しかも家では仕事が出来ないタイプなんです。近所に遅くまでやってる喫茶店があって、そこでずっと書き続けていました。確かに持続的に執筆しようと思ったら時間を確保するのが大事だというのは、体感としてもわかるんですけど……。話はすごく変わりますが、三浦さんは頻繁に転勤されていますよね。 三浦 はい。ここ13年間で10回ですね。 武田 読書家でもいらっしゃいますが、蔵書はどう管理してるんでしょうか。 三浦 前は壁の3面全部が本だったんですけど、最近は読み終わった本は、もうある程度処分しています。世代的に、学生時代は手放したらいつ買いなおせるかわからないっていう恐怖感がありましたが、今はネットもあるし、基本すぐ買えるじゃないですか。ただ、資料として読まないといけないとか、読みたいっていうときに手元にないという理由で、手放した本をまた買うことも結構多くて「俺、何しているんだろう……」と悩むことも少なくありません。これは「背表紙の力」って言ってるんですけど、考え事をするとき、僕はよく本棚に並んでいる本の背表紙をじっと見つめていることが多いんです。これまで自分にため込んできた知識を振り返ることで、ふっといいヒントが浮かんでくることも多い。
AIにはノンフィクションは書けない
三浦 僕は古いタイプの人間だからか、やっぱりメディアは社会部が面白くないとな、と心底思うんです。経済や政治はもちろん大事ですが、社会部が扱う問題は、人間の生き死にや、生活にとっての極めて身近な出来事、いわゆる「瓦版」。『ある行旅死亡人の物語』で武田さんたちがやっていることは、そういう意味で、「ど社会部」ですよね。 武田 先ほど、「名もなき人」って話が出ましたし、自分自身の関心もおそらくそういうところにあるのかなと感じてはいます。でも、実をいうと、「名もなき人」って言葉自体があんまり好きじゃないんですよね。慣用句としては確かに自分も使いますが、当然、人にはみんな名前がありますし、話を聞いてみると、いろんな物語がある。取材するたびにそういう感動がありますね。それだけの感受性が自分の中にようやく育ったといいますか……。今は本当にそういう個人の方の話を聞くだけで楽しくなってしまって、なんだかんだ、やっぱり仕事が面白いなと思っています。 三浦 2010年代以降、新聞や雑誌は2段落ぐらいまで読めば、何となく結論がわかる……という論点整理をあらかじめして、読者や視聴者に提示する傾向が強くなりすぎているんじゃないかと危惧しています。でも、実際の現実がそんなにわかりやすいはずはないし、ましてや人間なんてわかるはずもない。そういった当たり前の「常識」を僕も取り戻したいという気持ちはありますね。 武田 じゃないともうAIでできちゃいますよね。 三浦 AIについて、僕は全く脅威を感じていません。AIはすでに存在するものの中からしか、物語を作り出すことはできません。僕らがやっているような、いわゆる新しい事実を掘り起こして、そこから物語を作り出すことは不可能です。ネットに落ちていない事実を僕たちは取材という行為を通じて丁寧に拾い集めていく。武田さんにももっともっと外に飛び出して、作品を書き続けていってほしいと思っています。次はどんなことをやりたいですか? 武田 この4月に関西を離れることになりまして、次も遊軍に近いポジションなので、『ある行旅死亡人の物語』と同じようなことをするべきなのか、何か全然違うことをやるのもいいのかなと、暗中模索している状態ですね。 三浦 どんなことに興味があるんですか? 武田 「人間の精神性、霊性」といったことが一番、関心の核としてありますね。例えば、宗教の話、オカルトみたいなものが子供のときから好きだったんです。「神はいるのか」といったことでも結構考えますね。『涙にも国籍はあるのでしょうか』でも、日本人男性が、津波で亡くなった妻が来日前に生んだ娘のお墓参りにフィリピンに行ったら、墓前でつむじ風がずっと吹いていて……という、どこか霊的存在を感じさせる描写もありましたね。