「81歳で新人漫画賞」を受賞した漫画家 弘兼憲史は20代後半で「遅咲き」だった 松本大洋が賞賛する作品とは?
■“遅咲き”の漫画家が増えてきた 1942年5月30日生まれということは現在82歳のはずだが、誌面で「81歳」と紹介されているのは投稿時の年齢ということだろうか。受賞作『野球で話せ』は、とてつもない才能を持ちながら、うまく言葉を発することができない少年が、テスト入団でプロ野球の世界に入り大活躍するストーリー。意思を伝えられないことで誤解を招くが、その試練が彼を成長させていく。 素朴なタッチながらデジタル処理も駆使した画面(というか、Xの投稿によればフルデジタルらしい)は、言われなければ81歳の作品とは思えない。球団オーナーがどう見てもナベツネだったり、キャッチャーが古田敦也っぽかったり、態度の大きい先輩投手が伊良部秀輝っぽかったりするのはご愛敬。実力派がひしめく「ビッグコミックオリジナル」の中で、堂々たる存在感を放っている。
純粋な新人とは言いがたいが、80代でこのような新人対象の漫画賞の受賞は、やはり“事件”であろう。同じ誌面に短編『ベイビーショック』が掲載されている第10回青年漫画賞受賞者の村上香氏は19歳なのだから、実に60歳以上の年齢差だ。 その村上氏のように、かつては10代でデビューするのが普通だった。大卒後、松下電器(現パナソニック)を経て27歳でデビューした弘兼憲史氏などは、当時“遅咲き”と言われたものだ。しかし、昨今は30代、40代デビューも増えてきた。弘兼氏のように社会人経験を経てデビューすることは決してマイナスではなく、むしろ武器になることも多い。近年隆盛のエッセイマンガでは、それこそ描き手の経歴・職歴そのものがネタになる。
そうした流れに先鞭をつけたのは、青木雄二氏だ。1990年に『ナニワ金融道』で衝撃のデビューを果たしたとき、青木氏は45歳。鉄道会社職員、町役場職員、パチンコ店店員、印刷・デザイン会社経営など、さまざまな職業を経て漫画家となった。いわゆる“マチ金”を舞台に、業と欲が渦巻くコテコテの人間ドラマは、そんな雑多な社会経験あればこそ描けたものだろう。酸いも甘いも噛み分けた人間ならではの観察眼から生まれる人物描写は、ディープの一語に尽きる。