じつは、分娩だけは陸上に戻っていた…わずか1000万年で海の頂点に達したムカシクジラ「陸との決別」はいつだったのか
水中適応が「一歩進んだ」種…出産はどこで?
「マイアケトゥス(Maiacetus)」と名付けられたムカシクジラ類の化石だ。パキスタンで発見されたその化石には、「GSP-UM 3475a」という標本番号が付けられている。ちなみにこの化石は、マイアケトゥスの命名に用いられた標本(ホロタイプ:正基準標本)でもある。 マイアケトゥスの全長は2.6メートルほどで、アンブロケトゥスと似た姿をしている。ただし、アンブロケトゥスよりも尾の骨に高さがあるため、尾お 鰭びれをもっていた可能性が指摘されている。先にご紹介したアンブロケトゥスよりも“一歩先”へ水中適応が進んだと位置付けられるムカシクジラ類である。 2008年にマイアケトゥスを報告したミシガン大学(アメリカ)のフィリップ・D・ギンガリッチたちは、「GSP-UM 3475a」の体内に、小さな動物の化石があることを見出した。ギンガリッチたちは、この小さな動物を胎児と判断し、その頭部の方向に注目。後方に向いていたことから、マイアケトゥスは「頭から産む方式」だった可能性が高いとしている。 ギンガリッチたちの指摘の通り、マイアケトゥスが「頭から産む方式」を採用していたのであれば、出産は陸上で行われていた可能性が高くなる。ムカシクジラ類において、マイアケトゥスの“段階”においても、まだ陸域との“縁”は深かったわけだ。 もちろん、「GSP-UM 3475a」が見せる状態が、いわゆる「逆子」だった可能性もあるし、そもそも胎児ではなく、他の動物を捕食したものが体内に残っていた可能性もある。「可能性」という言葉ばかりを羅列してしまうが、これは現時点では如い 何かんともし難い。マイアケトゥスの新標本が発見され、胎児が確認されれば、もう少し可能性の高い話となることだろう。 始新世の終わりが近づいたころ、ムカシクジラ類における“進化の頂点”ともいうべき種類が登場した。
なんと、全長20メートル!「爬虫類に間違え」られた
ムカシクジラ類における“進化の頂点”ともいうべき種類とは、「バシロサウルス(Basilosaurus)」だ。 バシロサウルスは、全長20メートルに達する超大型のムカシクジラ類である。現生のナガスクジラ(Balaenoptera physalus)に匹敵する巨体だ。ただし、ナガスクジラと比べると、全長に占める頭部の割合はずっと小さい。 また、ナガスクジラの首は、個々の骨が癒合していることに対し、バシロサウルスの首の骨はそれぞれ独立していた。前脚は鰭ひれとなり、後脚は小さくなっていて、骨盤と関節していない。どこからどうみても、水中適応を果たした姿をしている。なお、哺乳類なのに、 「saurus」が名前に使われているのは、命名時に爬虫類と勘違いされたからだ。バシロサウルスの研究史において、その勘違いは早期に指摘・修正されたものの、一度つけられた学名は、そう簡単には修正されない。 バシロサウルスの頭部は小さいとはいえ、それはあくまでも「全長に占める割合」の話だ。実際のところ、頭部は2メートル近い長さがあり、そこにはがっしりとした歯が並ぶ。 2015年にウィスコンシン大学(アメリカ)のエリック・スニブリーたちが発表した研究によると、バシロサウルスの顎が生み出す「嚙む力」は、2万ニュートンを超えたという。この値は、サメ類と比較するとけっして大きいとはいえないが、それでも、現生のワニ類などよりもよほど大きい。 強力な顎を武器に、バシロサウルスは始新世の海洋生態系に君臨していたらしい。 2019年、ライプニッツ進化・生物多様性研究所(ドイツ)のマンヤ・ヴォスたちは、エジプトで発見されたバシロサウルスの化石(標本番号「WH 10001」)に注目し、その胃の内容物として小型のムカシクジラ類とそれなりの大きさとみられるサカナの歯が確認できたことを報告している。ヴォスたちの調査によれば、小型のムカシクジラ類は、少なくとも2個体以上は捕食されていたようだ。 ヴォスたちは、バシロサウルスを「頂点捕食者」と位置付ける。そして、だからこそ、これまで以上に注目し、分析を続けていく必要があると、論文の中で主張している。 ムカシクジラ類は、始新世に登場し、始新世で進化を重ね、始新世が終わる前に、海洋生態系に君臨するに至った。その期間は1000万年に満たず、なかなかの“速度”である。なお、本記事におけるムカシクジラ類の話はここで終わりだ。次の漸新世からは、クジラ類の物語へと移る。 「もう少しムカシクジラ類について情報が欲しい」という方は、2021年に技術評論社から上梓した拙著、『地球生命 水際の興亡史』を開いてほしい。