熟練の技でストライク連発“全盲のボウリング選手” 世界選手権銅メダリストは教師との二刀流 教え子は「ボウリングはひとつの居場所」【news23】
青松さん 「アメリカに留学したり、就職もして一般企業で働いて、それまでの経験がいっぱいあるので、これを後輩たちに伝えて、社会の中で活躍できる視覚障害者をたくさん育てたいというふうに思うようになって」 そして、教壇に立つ傍らボウリングの腕も磨き、視覚障害者ボウリングの世界選手権で銅メダルを獲得。そんな青松先生に生徒は… 生徒 「青松先生みたいにいろいろこなして、自分の意見もしっかり言えて、持っている大人になりたい」 ■視覚障害者ボウリングが“ひとつの居場所”に 「社会参加のときに一つのツールとして使えるスポーツかな」 9月に行われた視覚障害者ボウリング全日本選手権。目が見えない、もしくは見えにくい選手44名が参加しました。22年前、青松さんが自ら立ち上げた大会です。 青松さん 「始めたころは無我夢中で始めたのであんまり覚えていない。だんだんこの視覚障害者のボウリングが広まってきているなと感じています」 大会では障害の程度によってクラスが分かれていて、どのピンが残っているのかなどは審判が「残っているのは3・6・10です」と、声でサポートします。それ以外は一般のボウリングと同じです。 運営を担う青松さんは、音を頼りに大会の様子を把握します。 今年で21回目を迎える大会も無事終了。大会後、青松さんは、大会に参加していた7年前に卒業した教え子のところへ。青松さんがきっかけでボウリングを始めたそうです。 ――ボウリングはご自身にとって今、どんなものに? 青松さんの教え子 島村晴彦さん(24) 「先生ももちろんですし、練習のチームのみんなで練習して、そこで知り合いも増えて仲良くなって、そういう意味である種ひとつの自分の居場所になりつつあるのかなと」 青松さんはボウリングの魅力についてこう話します。 青松さん 「性別とか年齢とか障害に関わらず誰でもできるスポーツですし、社会に参加していくときに一つのツールとして使えるいいスポーツかなと思っています」