ロンドン・ビジネス・スクール教授アレックス・エドマンズの指摘「DE&IやESGそのものは間違っていないが、やり方は間違っている」
ESGやDE&Iはいまなお重要だ
エドマンズの挑発的なタイトルのエッセイ「ESGの終焉」は、ESGのすべてを手厳しく批判するものだとしばしば解釈されるが、彼自身はこう語る。「私は決してESGが悪いものだとは言っていません。終わると言っただけで、それがいいか悪いかは言っていないですよ」 このスタンスの核心的なポイントのひとつは、確証バイアスによって彼の主張のニュアンスが見落とされるということだ。 「人は、ひとたび自分の立場を決めると、なんでもその立場を支持するように解釈したがります。そのため、反ESGの人なら、私のエッセイをその意見に沿うように解釈してしまうのです」 投資家の意思決定においては、投資先の財務上のESGへの考慮とそのリスクを考え合わせたとき、最終的には利益のほうが大きいとすでに証明されている。つまり、ESGを適切に推進することはいい財務結果につながるのだ。 人権やサプライチェーン管理からグッドガバナンス、多様性に至るまで、これらは我々に善人たれと要請するものではない。マテリアリティアセスメント(重要な経営課題の特定)に従って、重要な問題に焦点を絞って業務をおこないさえすれば、あとは財務結果にだけ関心を払っておけばよいのだ。
DはEとIなくしては立たず
このことは、エビデンスに基づいた意思決定に関する別の問題につながる。エドマンズは以下のように言う。 「合理的な世界では、エビデンスとデータが人々を動かすと言われます。しかし、これは正しくありません。文脈によるのです。もし私が老いた白人男性だったとすれば(エドマンズはアジア系だ)、多様性に関していまと同じようなことは言えないでしょう」 エドマンズは、多様性それ自体を批判したいのではないと語る。「私はその味方であり、賛成側の一員です。しかし、多様性を実際にどう取り入れるのかに関しては、変えなければならないことがあると思います」 ESGと同じく、最近では多様性もまた、産業界から投資家にいたるまで、議論の的となっている。反対する陣営はこれを「ウォーク(意識高い系)」と批判し、多様性の代わりに実力主義を基本理念とすべきだと主張する。 DE&Iへの批判としては、ジェンダーやエスニシティといった目に見える特徴にばかり傾斜した、「上っ面の多様性」にばかり焦点が当てられているという指摘もあり、エドマンズもこれに同意している。「多様性は、ジェンダーやエスニシティの範囲よりずっと広いものです」 我々は、多様性をもっと複合的な視野から捉えるべきだ。特権、社会経済的背景などを含む、相互に結びついたより広範なアイデンティティをも俎上に上げるのである。 エドマンズはこう述べる。「機会、価値の創造、可能性を考える人もいれば、リスク管理やうまくいかないときのことを考える人もいます。意思決定をする際には、これら両方の側の人にいてほしいですよね」 ジェンダーやエスニシティの多様性がまったく無用ということではなく、それだけではダメだという話なのだ。 「異なる視点を得るように促しましょう。そして、みんなに異なる視点を表明する時と場を提供しましょう。ミーティングで発言を共有することは重要です。異論が出ても、それを怒鳴りつけて抑えてはいけません。人は理解しようとしながら話を聞くわけではありません。どう返事するかを考えながら聞くのです。そのような防御本能にとらわれないようにしましょう」