言葉が見つからないことを肯定したい――映画『きみの色』山田尚子監督×牛尾憲輔が語る創作への思い
色と映像表現の相関性――色から音をつくることも
―主人公のトツ子には人の「色」が見えるという特性があります。それがある種の映像表現のユニークさにもつながっていると思うんですが、作品を観ていると、牛尾さんのつくっている音と山田監督の色の表現に、ある種の共感覚的なものを感じました。色から音を感じたり、音から色彩感を感じたり、そういう不思議な体験をしたような余韻があったように思います。お2人としてはどうでしょう? まずこの特性にしようと思った由来と、そのことによってどういう効果が作品に生まれたと感じていますか? 山田:作品としては「見える能力を持っている人」ではなくて「感じている」という、トツ子なりのルールみたいな書き方をしていて。今回の作品では色ですが、人それぞれに何かを感じるためのルールがある。五感だけじゃない、第六感みたいな、それぞれのルールがあるんじゃないかなと思うんですね。それを色にしただけなんです。 そういうふうに観る方との橋渡しができるといいなと。光があるから色というものが存在しているわけで、ということは光というのはきっと音にもつながっていくのかなってうかがったら、そうだ、とおっしゃってくださって。 牛尾:結局、音も波ですからね。もちろんアーティスティックな部分で色に影響を受けることは大きいので、フィルムを観て音から色を感じたのだとしたら、伝わってよかったなと思います。同時に、色から逆算的に音をつくっているところもたくさんあるんです。 ―というと? 牛尾:例えばホワイトノイズっていう言葉があるんですけれど、ノイズっていう音色は、そこに含まれる音の形によって色が決まるんです。つまり、色のスペクトラムとしてノイズは表現できて、全部の音の周波数がすべて均一になると真っ白になる。それをホワイトノイズっていうんですね。 ということは、ホワイトノイズを切り取ると緑も赤も青も全部出てくる。その切り取るフィルターをプログラミングして作ってあって。トツ子がキャラクターを見るときに、その色が赤いときはレッドノイズ、青いときはブルーノイズみたいな感じで、そういう音を混ぜ込んだりしています。 そういうのをベースに、さらにその色を感じるように上にいろんな和音を足したり、いろんなことをチャレンジしたつもりだったので、そういうことはコンセプトから導き出されたものとしてあります。もちろんそのノイズが鳴ったから色を感じるとは思わないですが、少なくとも、そういう思想のなかで劇伴は構築されています。