マドリーの背番号7は特別な存在。実力や功績は申し分ないヴィニシウスだが、7番に相応しいのか【コラム】
「ベルナベウでの90分は長い」
歴史的なクラブでは、特定の背番号に“戦いを象徴する”選手の系譜がある。どんな生き様をピッチで見せるのか。それは、クラブに多くの栄光をもたらした場合もあるが、必ずしもそれだけではない。むしろ、パーソナリティが問われる。人間としての品性、魅力、生き方そのものだ。 【画像】小野伸二、セルジオ越後、大久保嘉人、中村憲剛ら28名が厳選した「 J歴代ベスト11」を一挙公開! その点、世界に冠たるレアル・マドリーの背番号7は特別だ。その系譜の始まりは、レイモン・コパと言われる。1950年代、マドリードが欧州で無敵の時代の端緒を作っている。 それを受け継いだのが、1960年代後半から1970年代まで“魔術師”と異名を取ったアマンシオ・アマーロである。アマンシオはチーム史上、ルイス・フィーゴと双璧を成すドリブラーで、マドリディスタ(マドリードファン)を魅了した。当時、欧州を席巻していたマドリーだが、アルフレッド・ディ・ステファノがベテランの域に入った後、彼がチームを双肩に担った。 「紳士たれ」 絶対的王者として、マドリードでは暗黙の掟ができたが、その基盤を作ったのがアマンシオの人柄だった。誠実で穏やか、どんなときも驕らず、敵に敬意を払い、ピッチで死力を尽くす。至高の常勝精神だ。 それを受け継いだのが、70年代後半から80年代の英雄、ファニートだった。チームとしては欧州制覇を果たせていない。しかし、ファニートは絶大な人気を誇った。派手なテクニックも、驚異的な得点力もなかったが、不屈さでチームを奮い立たせることができた。 「ベルナベウでの90分は長い」 それは今も使われるファニートの名言である。1985−86シーズン、UEFAカップ(現行のヨーロッパリーグ)準決勝でインテル・ミラノと敵地で対戦し、ファーストレグで2-0と敗れて絶体絶命だったが、そのセリフを用い、実際に3-0とベルナベウで大逆転した。ファニートは先制で口火を切り、チームに勢いを与えたのだ。 〈敵をリスペクトしながらクラブの歴史に後押しされ、凱歌を上げる〉 それこそ、マドリディスタの求める背番号7として定着したのである。 その後、エミリオ・ブトラゲーニョ、ラウール・ゴンサレス、そしてクリスティアーノ・ロナウドが系譜を継いでいった。いずれも、常勝の精神でチームを牽引した。その間には背番号7にふさわしくはない選手もいたが…。 現在、ナンバー7を背負うヴィニシウス・ジュニオールは実力や功績は申し分ない。しかしながら、人柄は背番号7に相応しいのか。彼がスタジアムで人種差別を受けることは大問題と言えるだろう。ただ、彼自身がピッチで相手を軽んじる暴言を吐いたり、大袈裟に倒れてアピールしたり、観客を愚弄するポーズを取ったり、彼自身も状況を煽っていることも問題視されている。 背番号7は、実力や功績だけで与えられるナンバーではない。 文●小宮良之 【著者プロフィール】 こみや・よしゆき/1972年、横浜市生まれ。大学在学中にスペインのサラマンカ大に留学。2001年にバルセロナへ渡りジャーナリストに。選手のみならず、サッカーに全てを注ぐ男の生き様を数多く描写する。『選ばれし者への挑戦状 誇り高きフットボール奇論』、『FUTBOL TEATRO ラ・リーガ劇場』(いずれも東邦出版)など多数の書籍を出版。2018年3月に『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューを果たし、2020年12月には新作『氷上のフェニックス』が上梓された。
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