【毎日書評】「must(するべき)」思考から解放、折れないこころをつくる近道は?
「want」の自分と「must」の自分
ふだん意識する機会は少なかったとしても、こころのなかには「want(~したい)」と「must(~しなくてはならない)」という相反する自分が存在するもの。 幼いころは、泣きたい、甘えたいといった「want」しかないので、まわりの状況に関係なく、おなかがすけば「ごはんが食べたい」と訴え、いやなことは拒否し、好奇心のおもむくままに遊んだりもするはず。「want」のときは感情や感性が優位で、自分にとって損か得かといった合理的な判断にはならないわけです。 しかしそののち成長する過程で、理性が優位で論理的な「もうひとりの自分」ができていきます。外に出て走りまわりたい「want」の自分にブレーキをかけ、「授業中は席についていなければならない」などといい聞かせる。それが「must」の自分だということです。 もちろん「want」と「must」はどちらも自分であり、ともに大切な要素でもあります。「want」が優位のときはやりたいことをやっている感覚、納得感があり、気持ちと行動がおおむね一致しているもの。一方、「must」が発動されることで、「自分の意見は異なるが、相手のことを立てておこう」などと自制を効かせるのが有効な場合もあるでしょう。 大切なのは、ふたつのバランスです。「must」が強すぎて「want」の自分が疲れきっているのに、さらに厳しく接してもつらくなります。どんなときも「なまけてはいけない」「こんな自分で満足してはいけない」と、「must」に従って生きると危機に陥ってしまいます。バランスは大切ですが、年齢によっても心地よく感じる比重は変わります。(130ページより) 「must」は努力の原動力にもなるため、活力にあふれる若い時期には、強い「must」に駆り立てられてもやっていけることが多いはずです。とはいえ、努力しても報われない感覚が続けば燃え尽きてしまい、強い自己否定につながってしまうことも。 強い「must」に縛られてきた人が、それに従うエネルギーが失われたとき、人生の転換期を迎えます。人生の後半になって心身の衰えを感じはじめると、こころは悲鳴をあげます。(130~131ページより) 著者によれば、これがいわゆる「ミドルエイジ・クライシス(中年の危機)」。その後の人生を豊かなものにするためには、強い「must」を手放す必要があるということです。(128ページより)