コロナ禍でも年4千人以上が急性アルコール中毒で搬送、危険な飲酒から若者の命を守るには 「意識がない息子がどうすればよかったのか」近畿大一気飲み死亡事故遺族の慟哭
新型コロナウイルスの感染拡大による行動制限が緩和され、感染法上の位置づけも「5類」に引き下げられる中、コロナ禍では縁遠かった飲み会の機会が増えている。そんな中、懸念されるのが一気飲みやアルコールハラスメントによる事故だ。東京都内では、コロナ禍真っただ中の2021年でも年約9千人が急性アルコール中毒で緊急搬送されており、うち約4千人が20代の若者だった。なぜ命を危険にさらす飲酒はなくならないのか。大学のサークルで起きた飲酒死亡事故を巡る訴訟のケースを元に、対処法を探った。(共同通信=助川尭史) ▽「飲み会代を貸さなければ…」今も消えぬ母の後悔 「今でも思うんです。あの時、飲み会のお金を貸さなければよかったって…」。2017年、近畿大2年の時にテニスサークルの飲み会で一気飲みをして亡くなった登森勇斗さん=当時(20)=の母親はおえつをこらえながら語り出した。 勇斗さんを亡くして5年半。当時大阪に赴任していた母親と息子の2人で暮らしていた部屋はすでに引き払ったが、転居先でも勇斗さんの部屋にあった家具や雑貨は当時のまま置いて再現している。今でもふと「息子が帰ってくるのでは」と思うことがあるからだ。
岡山県で生まれ、小さな頃から人なつっこくて、年上や大人から好かれることが多かったという勇斗さん。写真が好きで、小学校の卒業文集にはカメラマンになりたいと将来の夢をつづり、大学は母親の住む大阪市から通える近大に進学した。休日は映画を見に行ったり、北海道に旅行したりもした。久しぶりの息子との生活は「幸せでしかなかった」という。「(別居中は)さみしい思いをさせてたんじゃないかとずっと思っていました。そんな私のことをおもんぱかって負い目に感じないよういつも一緒にいてくれる優しい子でした」 大学2年生だった2017年12月11日。普段頼みごとをしない勇斗さんが珍しく「飲み会のお金を貸してほしい」とお願いしてきた。「ちゃんと返しんさいよ」。そんな何げないやりとりが親子の最後の会話になるとは思いも寄らなかった。 ▽シャツに汗でできた塩の結晶、つま先には引きずった跡 翌日の早朝、まどろんでいた母親の元に「息子さんが急性アルコール中毒で搬送されている」と救急隊員から電話が入った。病院に駆けつけると、息子の顔は紫色をしており、チューブにつながれていた。頭が真っ白になり、傍らの医師に「(息子の体から)アルコールを抜いて!」と頼み込んだ。「どんな姿でもいい、生きていて…」。祈りは届かず、勇斗さんは20年の生涯を閉じた。