家焼かれ逃亡、生後14日のわが子抱く若いロヒンギャに見た母親の変わらぬ姿
心に残ったロヒンギャの人々のホスピタリティ
ロヒンギャの人々との交流を通して心に残ったことは、彼らのホスピタリティです。 ミャンマーで迫害を受け、逃れて来たバングラデシュでのキャンプ生活は決して良いとは言えません。しかしながら、時折彼らは、私が炎天下の中キャンプ内を歩いていると、軒下の日陰に椅子を出してくれたり、家の中に招き入れて休ませてくれました。 実際にキャンプを訪れて、ロヒンギャの人々と接してみて感じたことは、多くの報道がロヒンギャの人々を悲惨な民族としてしか伝えていないということです。もちろん、ミャンマーでの暴力行為で家族を殺され、家を焼かれ、着の身着のままで国境を越え、たどり着いたバングラデシュでも厳しい生活環境で暮らさざるを得ないということは悲惨であり、伝えるべきことだと思います。 しかしながら、そんな厳しい状況下でも自分たちの信仰を大切にし、慎ましく暮らす彼ら本来の姿もあります。「ロヒンギャ=迫害されている悲惨な民族」というイメージの報道ばかりになることで、その姿が見えなくなくなるのではないかと思い、フリーランスとしてマスメディアとは違う視点でロヒンギャの人々の日常などを伝える必要があると感じ、撮影を行っていました。
生後14日の赤ん坊を抱いた女性撮影……子育てする女性の普遍的イメージ伝わってくる
●読者に見せたい1枚 10月20日にタンハリ・キャンプ内で出会ったロヒンギャ女性です。たまたまキャンプ内を歩いている時に見かけて、撮影させてもらいました。その時まだ生後14日の赤ん坊を抱いていたのがとても印象に残っています。写真から、迫害に遭っている悲惨なロヒンギャというより、子育てをする女性、母親という普遍的なイメージが伝わってくるのが気に入っている1枚です。 その写真の女性ショビカさんについて。彼女は家族7人(子ども4人、夫、母親)で8月末にこのキャンプに到着しました。父親は何年も前に亡くなっています。ミャンマー軍により彼女の父親の家が焼かれ、身の危険を感じたため、全ての財産を残し、ラカイン州の故郷を離れましたが、ミャンマーとバングラデシュの国境に沿って流れるナフ川をボートで渡る際に30ドルという彼らにとって高額のお金を支払わざるを得えませんでした。 そしてバングラデシュ側の国境で2日間待機した後、今いるキャンプまで4時間かけてたどり着きました。キャンプでは2~3日に1度、食糧の配給を受けられていますが、生活環境は決して良いとは言えません。それでも今は安全に暮らすことができています。 ロヒンギャの方々の中には写真を撮られたくないという方もいましたが、基本的には快く撮影に応じてくれる場合の方が多く、撮影に関しては特別苦労することは少なかったように思います。しかしながら、言葉の壁が大きくコミュニケーションを取る上で非常に苦労しました。 現地のバングラデシュ人で、英語とロヒンギャの人々も使用するベンガル語のチッタゴン方言が話せる方が通訳して意思疎通をはかり、撮影や取材意図を伝えて撮影させてもらうこともありましたが、基本的にはボディーランゲージや簡単な英単語を使った体当たりのコミュニケーションでした。
---------- 【森 佑一(もり ゆういち)】1985年香川県生まれ。2012年より写真家として活動を始める。2012年5月には DAYS JAPAN フォトジャーナリズム学校主催のワークショップに参加。これまでに東日本大震災被災地、市民デモ、広島、長崎、沖縄を撮影。現在は海外にも活動の場を広げ、戦争や迫害に起因する難民の撮影を中心に取材を行っている。 HP: facebook: