家焼かれ逃亡、生後14日のわが子抱く若いロヒンギャに見た母親の変わらぬ姿
拡大する難民キャンプ 見渡す限り、黒ビニールシートで造られた家屋
● 現地の様子 まず難民キャンプ全体の様子についてですが、60万人以上のロヒンギャの人々が国境を渡りミャンマーからバングラデシュに逃れて来ているため、コックスバザール県ウキヤの丘陵地帯に形成されている難民キャンプはどんどん拡大している状況でした。丘の頂上からは見渡す限り竹と黒いビニールシートで作られた家屋が並び、多くの人々が行き交う姿が見えます。 キャンプ入口の広場には、炎天下の中、食糧配給をするNGOやそれを管理するバングラデシュ軍、配給に並ぶ人々の長蛇の列がありました。キャンプ内の大通りを進めば、支援物資の袋や家を建設するための材料となる竹を担いで歩く人々や支援活動を行うNGOのテントやスタッフの姿を目にします。ところどころ、ちょっとした市場もあり、ロヒンギャの人々が店番をしています。野菜や魚だけでなく、スナックやソフトドリンクを販売しているお店もあります。 大通りを外れてロヒンギャの人々が暮らすテントがひしめくエリアに入っていくと、そこでは軒先の日陰で談笑する人々や、井戸で水を汲んだり水浴びをしたり、洗濯する日常生活の様子を目にします。時には彼らにテントの中に招き入れられ、休憩させてもらいましたが、家は竹とビニールシートで作られ、中に敷物(ゴザ)が敷かれただけの非常に簡素なものです。 丘陵地帯のそれぞれの丘の頂上には、モスクやマドラサと呼ばれる子ども達がイスラム教を学ぶ場所があるところも多く、日々、ロヒンギャの人々がお祈りをしたり、子ども達がコーランを学ぶ姿から、厳しい環境下にいてもイスラムの教えを大切にする姿勢がうかがえます。モスクにお邪魔したときも快く迎えてくれ、子ども達は外国人である自分に興味津々です。
日本の支援活動取材
日本赤十字社医療活動をハキムパラ難民キャンプで17日に取材・撮影しました。 日赤医療チーム第一陣は9月23日にバングラデシュ入りし、27日よりロヒンギャキャンプで活動を開始。日本人スタッフと香港、デンマークの赤十字スタッフ、現地ロヒンギャスタッフ、バングラデシュ人医師で構成されるチームでキャンプ内各所に移動診療所を開設し、診察を行っていました。 当初、ロヒンギャの人々に多かったのは熱や咳、下痢といった症状でしたが、現在は不衛生な環境で暮らしていることによる皮膚感染症が増えてきているといいます。また妊婦も多く、分娩時にリスクを伴う逆子の早期発見のため、エコーを使った診察も行われていました。毎日、新たなロヒンギャの人々が流入してくることで、医療ニーズは日々流動的に変化し、臨機応変な医療支援が求められています。 第一陣は、キャンプにおける様々な制限の中、苦労して医療支援の道を作り、約1カ月の任期を終え、帰国。現在は第二陣が現地で継続的に活動に当たっています。 またロヒンギャ緊急支援を行なっている日本のNGO「ジュマネット」と「シャプラニール」、バングラデシュ現地パートナーNGOであるAPCDが食糧配給を15日に実施している様子を取材しました。約15キロの食糧パック(米、圧縮米、じゃがいも、ビスケット、塩、砂糖など)をバルカリキャンプの2カ所で合計約1000家庭に対し配布。1家庭の平均構成人数は6人前後で、1パックは約1週間分の食料になるそうです。 難民キャンプのロヒンギャの人たちからは、以下のような声がありました。 ・米や水など最低限の食糧配給は増えてきたが、野菜や魚などの他の栄養を摂取するための食料や調理のために火をおこす器具が不足している。 ・簡易トイレの数が不十分で、地面に大きく掘った穴に用を足すため、衛生環境が良くない。 ・診療所が少なく(あっても遠くにある)、治療を必要としても診察を受けに行くことが難しい。 ・家はあるがその中に敷くゴザがなく、直接地面で寝るしかない。 朝晩冷え込む季節になってきたことからブランケットや冬物衣類のニーズも高まっています。このように問題やニーズが常にある状況であり、継続的な支援が求められています。