日本はすでに切れかかっている? 大国にも存在する「賞味期限」
中国と日本の転換と中興
現在、中国が、1949年の中華人民共和国成立から72年目を迎えているが、経済は停滞気味で、ウイグルと香港の問題を抱え、南シナ海と東シナ海の軍事的緊張とその結果としての中国包囲網と、まさに内憂外患である。もともと国家資本主義体制における、官僚の腐敗と経済の統制が背反関係にあることが露呈し、破局的な転換の可能性が高まっているとも見える。 しかし戦後ドイツが東西統一という大変革によって社会体制がリセットされているように、中国も、文化大革命やトウ小平の改革開放によってリセットされ、習近平体制は更なるリセットをねらっているようだ。こういった大変革が、単なる先延ばしとなるか、本当の中興となるかによって、賞味期限論は変わってくる。 また工業社会から情報社会への転換という条件も、地球規模の気候変動という条件も、これまでとは異なる点である。人類は近代文明そのものの賞味期限に直面しているとも考えられる。 必ずしも70~80年という期間にこだわらず、生命体としての人間の都市化の営為に、大波、中波、小波があるとすれば、われわれは「社会バイオリズム」ともいうべき、生態的歴史変化のダイナミックで複雑な波のうねりの中に生きているように思える。 簡単には結論づけられないが、中国も、そして戦後日本も、大きな転換期を迎えていることは否定できない。われわれとしては、中国の転換が穏健なものとなり(少なくとも周辺との衝突を招かず)、凋落する日本が中興に転じることを祈るばかりである。 何事も衆議を重んじ突出を嫌うこの国に「中興の祖」が出るだろうか。長老議員と世襲議員が跋扈する永田町を見ていると、足を引っ張る人が多いような気がする。