日本はすでに切れかかっている? 大国にも存在する「賞味期限」
衝突・崩壊・凋落
あるいは統一(明治維新、ドイツ統一)、あるいは革命(フランス、ソビエト、中国)、あるいは独立(かつて植民地だった多くの国家)など、中世的な社会の内的な歪みの蓄積に、海外からの圧力が加わって、ポテンシャル・エネルギーが爆発するように新しい国家体制が成立する。そして数十年は、その爆発エネルギーによる余震がつづいて体制は安定しないことが多い。どこの国にも、新政府内部の派閥闘争、分裂、反動、内戦、粛清といった騒乱が見られるのだ。 しかしそのエネルギーが一段落すると、新しい国家は徐々に近代的な体制を整えて安定し、外部からの先端的な科学技術の導入と内部における発明や革新によって発展の軌道に乗る。人々、特に若者層の新国家建設エネルギーが、社会の下層から上層への上昇エネルギーとあいまって、軍事と経済両面で急速な発展を遂げる。この段階では、資本主義的な体制と社会主義的な体制、どちらも発展が著しい。しかしやがて資本主義社会は資本主義の矛盾に、社会主義社会は社会主義の矛盾に直面して、ある種の停滞におちいる。 そしてそういった停滞した社会の内部矛盾の歪みの蓄積と、国際的な環境の変化による外力が作用して、国家と社会の構造が不安定化し、何らかの破局的な転換を招く可能性が出てくる。 歴史をかえりみれば、その破局的転換には、外部との「衝突」、内的な「崩壊」、長期的「凋落」の三つのパターンがあるようだ。 ナポレオンのフランス、ナチスドイツ、大日本帝国は、周辺の国家と「衝突」し、結局「崩壊」した。もっとも悲劇的なパターンである。ソビエト連邦と東欧社会主義国は、閉鎖的な社会体制の内的な矛盾による「崩壊」を招いた。英帝国、戦後日本は、イギリス病という言葉のように病的ともいうべき長期的な経済停滞による国家力の「凋落」に陥っている。 しかしそういった破局を招く前に、停滞と歪みを解消し、再び興隆に向かう社会改革が成功する可能性がないわけではない。いわゆる「中興」である。