日本はすでに切れかかっている? 大国にも存在する「賞味期限」
都市化の波と「70~80年のタイムスパン」
僕が政治思想と社会体制の賞味期限という意識をもつにいたったのは「都市化の波」について考えていたからである。 これまでも書いてきたように、人類は都市化する動物である。そしてその都市化には波がある。たとえば日本は明治維新以後、次々と新しい建築が建てられて急速な都市化が進行したが、ここしばらくは一段落して、代わりに中国の建築ラッシュが凄まじい勢いであった。しかしイタリアのローマやフィレンツェの街並は、16世紀以後ほとんど変化していない。 都市化の波には、小波、中波、大波が混在しているので予測というようなことは難しい。小波とは20~30年の景気循環的な波であり、中波とは80~100年ほどの政治史(革命や戦争が絡む)的な波であり、大波とは500年超の文明史的な波である、とこれまでの著書に書いてきた。そしてこの中波、すなわち政治史的な波が、近代の大国のライフスパン(誕生から滅亡までの期間)に同期するのではないか。 東欧の社会主義が総崩れとなった1989年のベルリンの壁崩壊は、ソビエトの成立から72年後であり、明治維新から太平洋戦争の終結までの77年にも、1871年のビスマルクの活躍によるドイツ帝国の成立から1945年のナチスドイツ滅亡までの74年とも近い。どうも近代の大国には、特に帝国主義的な拡大を試みた国には「70~80年の賞味期限」が存在するようだ。ちょうど、ひとりの人間の「賞味期限」と同じぐらいではないか
ポール・ケネディの『大国の興亡』について
こう書いてくると、ポール・ケネディの『大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争』(鈴木主税訳・草思社1988年刊)を思い起こす人も多いだろう。 1500年の時点で、世界の大国といえば、西のオスマン帝国、東の明であり、やがてそのあいだにムガール帝国が成立した。つまりアジアの時代であったのだが、そこに怒涛のごとき西欧優位の時代がおしよせる。いわば文明史的な都市化の大波である。 先頭を切ったのはハプスブルク家であった。1519年カール5世が両祖父母の領土を相続することによって、スペイン、南イタリア、オーストリア、ネーデルランドなど、ヨーロッパ大陸に広大な領土を獲得する。日本のように海の覇権を重視する立場からはスペインを覇者とする方が馴染み深いが、ケネディの視点はむしろ陸の領土に注がれている。そして1659年のピレネー条約を境に、ハプスブルグ家に代わって、太陽王と呼ばれたルイ14世のフランスが力を拡大し、ナポレオンが敗れる1815年のワーテルローの戦いまで、ヨーロッパの支配的な大国はフランスであった。ハプスブルグ家もフランスも150年前後の覇権である。 そのあとは産業革命とそれ以後の時代として、まずイギリスの覇権(イギリスについては植民地主義時代を第1帝国、産業革命以後を第2帝国とする考え方があるが、ケネディは母国に多くのページをさいていない)、そしてアメリカ、ロシア、ドイツ、日本などの挑戦とともに、世界がアメリカを中心とする西欧とソビエトを中心とする東欧に二極化する時代を描いている。覇権の期間を明示してはいないが、ケネディは、産業革命以後は覇者の交代が加速化していると考えているようだ。実際、大国の賞味期限は産業の大きなイノベーションとともに短くなる傾向にあるのかもしれない。 さてこの書物は、世界的ベストセラーとなったのだが、実はある意味で悲劇的な運命をたどったのである。 原本は1987年の刊行であり、日本語版は1988年刊行でサブタイトルに「~2000年まで~」とある。しかし刊行の直後1989年にはベルリンの壁が崩壊し、ソビエトを含む東欧圏の社会主義国が総崩れとなった。また日本語版の表紙には、地球上の階段を、イギリスが下り、アメリカが頂点にいて、日本が上っているというイラストが描かれている。海外の刊行における表紙でも、これと同じか、似たようなイラストが描かれている。明らかに日本がイギリス、アメリカに代わる大国として扱われているのだが、やはり刊行のすぐあとに、バブル経済が崩壊して日本は一挙に経済大国の地位を滑り落ちてしまったのだ。 つまり刊行から数年のうちに、世界の現実が急変して、著書の内容をはるかに超えてしまったというわけである。もし刊行がもう少しあとで「~2000年まで~」というサブタイトルをつけるなら、東欧社会主義圏の崩壊と、日本の経済的凋落と、中国の急速な軍事的経済的台頭の兆候を加えなければならなかっただろう。