《ブラジル記者コラム》福祉団体職員が生涯働いた老人ホームに約3千万円の遺産寄付=同団体が大戦中に邦人保護した隠された歴史
日本政府がこっそり赤十字経由で支援費用送金
創立総会の同議事録にはこうある。《救済会の事業は、時局の関係で、警察抑留者への差入、貧困者・疾病者及びその家族の救済、孤児・私生児の収容、発狂者の入院斡旋、結核患者の入院斡旋と救済、死者(無縁仏)の埋葬、警察より釈放された人々への宿舎の斡旋・帰宅旅費の支給、就職の斡旋並びに人生相談などであります。救済の対象となった延人員は一九五二年十月三十日までに一七、二五〇人となっておりますが、右人員中にはサンパウロ市コンデ街立退き者中移動費補助をした七十八家族(五百人)並びにサントス及びその近郊の立退き者六千五百人、計七千人を含んでおり、これは純然たる救済事業とは申せませんから、この数字を控除しますと、一〇、二五〇人即ち一万人を十一年間に救済したことになります》 1943年7月7日のサントス強制立ち退きの際には、サントス海岸部在住の日本移民6500人が24時間以内に移動を命ぜられ、サンパウロ市の移民収容所でその受け入れ支援をしたドナ・マルガリーダ、高橋、石原らは1週間不眠不休で面倒を見たと言われる。
まさに総領事館の邦人保護業務そのものだ。これだけの救済活動をした費用は、1942年5月から1947年7月末までの第1期で、合計60万8931・60クルゼイロスかかっている。間違いなく相当の金額だと思われるが、現在の価値にして幾らか分からない。知っている方がいたらぜひ教えてほしい。 費用の74%を占めるのは「国際赤十字社経由寄付金」で45万クルゼイロスだ。これが実は日本政府からの送金だったことが同議事録に書かれている。日本政府からだと分かるとブラジル政府に「スパイ行動の資金か」と疑われて接収される恐れがあったので、「国際赤十字」とし、極秘扱いにしていた。 2番目に多かったのは実は「ローマ法王庁経由寄付金」の3万4千クルゼイロスだった。3番目が東山、ブラ拓、ブラスコット、海興の各2万5千クルゼイロス。あとは個人や地方団体からの寄付金だった。