愛媛で震度5強 3月の「伊予灘地震」から見えた避難の課題とは
「ついに来たか!」──その地震に襲われたとき、知人の多くがついに南海トラフの巨大地震が起こったと感じたそうだ。その地震とは、今年3月14日深夜午前2時過ぎに起こった伊予灘地震である。幸い、大きな被害はなかったが、中国、四国地方を中心に広い範囲で大きな揺れ(最大で震度5強)を観測した。 筆者は、ここ数年、高知県の沿岸地域で、津波避難のための地域防災の取り組みに関わっている。大きな地震があったと聞いて、知人にお見舞い方々連絡をとった。そして、少なからぬ住民が高台等へ避難したことを知った。 そこで、同じ職場の畑山満則准教授、大学院生の孫英英さん、中居楓子さんらと共に、特になじみのある2つの地域-高知県四万十町興津地区、同黒潮町万行地区-について、当時の避難行動について調査を実施した。その結果、南海トラフの地震に伴う大きな津波に向けて、前向きに評価できる点、逆に反省すべき点など、いくつかのことがわかった。
評価できる点、反省すべき点
まず前向きに評価すべき点から記しておこう。 最大の成果は、上記の通り、相当数の人が実際に避難したという事実である。つまり、両地区の合計で、全体の28%が高台等へ実際に避難していた。着替えなど何らかの避難準備まで行った人を含めると全体の78%に達した。今回の揺れが激烈なものではなかったこと、真夜中の地震であったこと、および、地震後わずか4分後には「津波の心配なし」の情報がテレビ等を通して提供されたことを考慮すれば、「揺れたらすぐ逃げる」という意識が、一定程度浸透してきたとの見方ができるだろう。東日本大震災からの学びは、たしかに生かされている。 他方で、反省すべき点もある。 ほとんどの住民が車を利用していたのだ。両地区で、筆者らは平成24~25年に津波避難に関する意識調査を実施していた。それによれば、興津地区は全体の約8割が「徒歩」、約1割が「車」と回答、万行地区も全体の6割が「徒歩」、2割が「車」と回答していた。 しかし、伊予灘地震では、興津地区では、避難者十数人のうち1人をのぞく全員が車で避難していた。また万行地区は、避難者の7割を超える人が車で避難していた。両地区とも、事前の意識調査での意向と実際の行動を比較すると、「徒歩」と「車」の避難率がほぼ逆転していたわけだ。