平成事件史:戦後最大の総会屋事件(8)第一勧銀元会長を取り調べていた特捜検事はなぜ東京拘置所に向かったのか 後輩に掛けた最後の言葉「中村くん、すまない」
熊﨑は不測の事態のなかで、奥田の自供を確信し、大鶴にこう言った。 「最後はおまえがやってくれ。奥田はぜったいにしゃべるから大丈夫だ」 熊﨑の言った通り、大鶴の取り調べに対して奥田は容疑を認めたのであった。熊﨑の判断は、宮崎の死を受けた奥田の心情を読み切っていた。 宮崎を取り調べた北島はその後、特捜部副部長を務め「ライブドア事件」や「西武鉄道証券取引法事件」などを手掛け、堤義明の取り調べも担当した。2006年に退官し、弁護士として「熊﨑勝彦法律事務所」に所属した。その後、先に弁護士となっていた中村の法律事務所にパートナー弁護士として所属することになった。 そんな北島は59歳のとき病魔に襲われ、2015年に食道がんで死亡した。天才と呼ばれた検事の若すぎる死だった。中村は訃報を聞く2ヶ月前頃から北島の体調が悪そうだったため、心配していたところ、実は入院していると聞かされた。心配してお見舞いに行きたい旨を願い出たが、北島から「心配ない」の一言ではねつけられたという。 「最後まで、誰にも弱っているところを見せたくなかったと思う」(中村) 訃報を聞いた中村は「一言も言わずに逝ってしまうのはみずくさい、あまりじゃないですか」との思いが込み上げたという。 しかし、そんな思いも北島の妻から聞いた話で消え失せた。 中村は北島の妻から、「中村くん、すまない」というのが夫の最後の言葉だったと聞かされた。偉大な先輩を失った喪失感で涙が溢れた。 (つづく) TBSテレビ情報制作局兼報道局 「THE TIME,」プロデューサー 岩花 光 ■参考文献 村山 治「市場検察」文藝春秋、2008年 読売新聞社会部「会長はなぜ自殺したか」新潮社、2000年 村串栄一「検察秘録」光文社、2002年 産経新聞金融犯罪取材班「呪縛は解かれたか」角川書店、1999年
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