平成事件史:戦後最大の総会屋事件(8)第一勧銀元会長を取り調べていた特捜検事はなぜ東京拘置所に向かったのか 後輩に掛けた最後の言葉「中村くん、すまない」
中村は「宮崎の自殺」を聞いて「自分が総務部長から聞き出した供述が、宮崎を自殺に追い込んだのでは・・・・」と目の前が真っ暗なり、冷静さを失っていた。中村は平常心を失い、取り調べができる状態ではなかった。 北島は中村に会うなり「中村くん、すまない」といきなり頭を下げた。 「宮崎さんがあまりにも衰弱していた。自宅はマスコミが張っていたので、宮崎さんはホテルに宿泊していた。その日は嵐で、マスコミもいないと思い、弱っている宮崎さんを励まそうと、『きょうは嵐でマスコミもいないはずだから、たまには自宅に戻ってゆっくり過ごされたらどうですか』と言ってしまった。 まさか自宅で自殺などということは思いもよらなかった。気配りの宮崎と呼ばれるような人だから、第一勧銀と関係の深い帝国ホテルにそのまま安心して宿泊を続けていれば、あるいは死ななかったかも知れない。私が、余計なことを言わなけば・・・」と次の言葉を飲み込んだ。 そして「中村くんはどうだ、大丈夫か、担当している総務部長はどうだ、心配ないか」と声を絞り出した。 宮崎の訃報は、東京拘置所で調べを受けていた第一勧銀の幹部らにも大きなショックを与え、涙が止まらず、しばらく取り調べを拒否する幹部もいた。 北島は誰より自分が、計り知れない衝撃を受けているなかで、中村や、「吉兆会談」の事実を中村に自供してくれた総務部長のことを心配していた。その心遣いが身に染みたと振り返る。 中村は「まだ総務部長には宮崎さんの件を話せていません、何と言っていいか・・」と答えるしかなかったが、北島は親身になって中村に寄り添い、総務部長への対応についてきめ細かいアドバイスをくれた。中村は北島の言葉を忠実に実行し、何とか落ち着きを取り戻し、苦しい局面を乗り切ることができた。 宮崎の死去から5日後の7月4日、特捜部は最後まで否認していた第一勧銀の奥田前会長をついに逮捕した。(のちに有罪確定)奥田は宮崎とともに「吉兆会談」に同席し、わずか数カ月前まで会長として最高権力者の立場だった。熊﨑は奥田の取り調べ検事に、第一勧銀捜査班を率いる大鶴基成(32期)を指名した。