横浜DeNA三浦が引退会見 背番号「18」は準永久欠番
横浜DeNAの三浦大輔投手兼投手コーチ(42)が20日、横浜市内のホテルで記者会見を行い、今季限りで現役を引退することを発表した。会見に同席した高田GMの説明によると、三浦は16日の阪神戦(甲子園)で先発4回3分の1を投げて2失点で負け投手となったが、試合後、ホテルで池田社長、高田GM、ラミレス監督と4者で会談の席を持ち、三浦が今季限りでの引退を申し出た。高田GMは「チームにとっては柱を失う、大きな痛手だが、悩んで、いろんな方に相談をして出した決断。了承するしかなかった」という。 また球団は三浦の功績に敬意を表して背番号「18」を「横浜ナンバー」と名づけて準永久欠番とすることを決定した。プレー、振る舞いともにチームを牽引する、チームの象徴となるべき存在がつける番号として定義。今後は、後継者となるべき選手が出てくるまで欠番として、適任者が現れた場合、球団と三浦が協議の上、継承することになる。 三浦は、この日の引退会見で、「96年頃から球団につけさせてくれと伝えた番号。98年から、横浜のエースを18にすると思ってつけさせてもらいました。背番号の重みをわかってもらえる選手に、つけてもらいたいですね」と、“横浜ナンバー”についての思いを語った。 三浦は1991年に奈良の高田商業高からドラフト6位で横浜大洋ホエールズに入団(1位は東北福祉大から斉藤隆)。最初の背番号は「46」だった。エースとしてリーグ優勝を経験した1998年から背番号「18」に変更、プロ14年目の2005年に初のタイトルとなる最優秀防御率、最多奪三振を獲得した。横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと、経営母体が変わっても、横浜一筋を貫き、プロ25年間で534試合に登板、通算172勝183敗、平均防御率は3.58。23年連続勝利は、プロ野球タイ記録で、7月11日の中日戦で記録した24年連続安打は世界記録としてギネス認定された。 “引退試合”として24日に本拠地で行われる巨人戦に先発する予定で、そこで工藤公康、山本昌と並んでいるタイ記録から抜け出す24年連続勝利記録へ挑戦することになる。 以下は、引退会見での主な一門一答 ーー引退を決断した理由は? 「勝てなくなったから。引退という文字は数年前からあった、もっとできる、まだ勝てる、と思ってプレーを続けてきたが、先発で勝てなくなったら、やめる、と決めていた。7月(先発した中日戦)に打たれて、8月まで声がかからず、そこまでに気持ちは固まっていた。ただ9月の頭に甲子園での先発を言われたので、真剣に勝負したかったので、まだ(球団には)伝えないでおこうと考えていた。勝とうが、負けようが、今シーズン限り。言いたいけど言えない、モヤモヤはあった」 ーー家族への相談は? 「家族にも話をしたが、女房も子供も残念がっていた。まだできると。でもプロの世界は厳しい。最終的には自分で決めた」 ーーチームメイトには? 「昨日の試合後に、ナインに伝えた。(引退)会見前にみんなに言いたかった。CSが決まってほっとして喜んでいるロッカーで言うにも、どうかなと思ったが、伝えられてよかった。ただ、途中から自分でも何を言っているか分からなくなった(笑)。本当ですか? やめないでください、と言われて、それはそれで嬉しかった」