レース史上初の「ピットサイン」はメルセデスが考案! 世界恐慌の危機に名監督「ノイバウアー」が提案した斬新な参戦プランとは?
レースは波乱の展開に……
5周目にカラッチオラは絶対的なラップレコードをマークした。ノイバウアーは彼に、大きくリードしているのでゆっくり走るように指示するため、考案した「ピットサイン」を出した。 12周目、カラッチオラはスローダウンし、そしてついにピットに止まった。彼は、 「もうダメだ、暑いんだ!」 と息も絶え絶えに言ったという。チームメイトのクリスチャン・ヴェルナーは重たいメルセデス・ベンツのステアリングが当たって腕を脱臼し、すでにリタイアしていた。 ところが、ヴェルナーは、 「よし、私にすぐ絆創膏と包帯を巻いてくれ、1~2周は走るぞ、それまでにはカラッチオラのコンディションがよくなるだろう」 と言って、カラッチオラのメルセデス・ベンツを引き継いだ。白いメルセデス・ベンツが2分後に再びレースに戻ったとき、スタッフたちはカラッチオラの世話をした。彼の首に冷湿布を巻いたり、彼の顔を洗った。カラッチオラは徐々にふたたび元気を取り戻し、同時にヴェルナーがピットにやって来る。ノイバウアーは尋ねた。 「カラッチオラ、2周だけ走ってくれないか? そうしたらヴェルナーを再び休ませ、君と交替することができるんだ!」 カラッチオラはクルマのシートに座って、ひきつった顔でスタートし、そして追い駆けた。ヴェルナーは痛さのあまり呻いていた。ノイバウアーは彼のために、ブラックコーヒー、砂糖、卵の黄身と数種のスパイスなどを使った、独自の「レーシングドライバーカクテル」を作った。 16周目。ノイバウアーはカラッチオラに約束の「ピットサイン」を出した。彼は止まった。汗びっしょり、なおかつせわしい呼吸でゼイゼイと喘いでいた。彼は完全に疲れていたが自分のメルセデス・ベンツを見事に走らせ、オットー・メルツのメルセデス・ベンツの後ろ、第2位を守った。 「よし、ヴェルナー、最後の2周を走り抜くんだ。今だ!」 と、ノイバウアーは檄を飛ばし、このオールド・ヒーロー(ヴェルナー)はステアリングを握った。一方、カラッチオラは半死半生になりながら、隅の方でヘトヘトになっていた。ヴェルナーはオットー・メルツを追いかけたのだが、メルツはこの暑さとの戦いをただひとり、交替なしで耐え抜いていたのだ。 そしてついに最終ラップ。メルツはヴェルナーを500mリードしたまま、両車はハッツェンバッハへと消えた。メルツはヴェルナーが追従してきたことに気づき、そしてブライトシャイドの命取りのカーブにスピードを落とさずに突っ込んでいった。あまりにも無鉄砲だったため、クルマは熱いアスファルトの上をすべり、突然鋭いドスンという音がし、右の後輪のタイヤが飛んだ。メルツはライオンのように重たいメルセデス・ベンツと戦い、マシンをコースに強引に戻した。しかし、彼はこの作業で貴重な数秒を失った。 ヴェルナーはチャンスを逃すまいと、アクセルを踏み込みメルツを追い抜いた。ゼッケン6のメルセデス・ベンツが第1位としてゴールラインに飛び込んできたとき、ノイバウアーは目を疑った。 老練なクリスチャン・ヴェルナーと若いルドルフ・カラッチオラがともに脱臼した腕や日射病、加えて足の裏をやけどしていたにもかかわらず、ニュルブルクリンクの太陽との戦いに優勝したのだ。カラッチオラにとって、この勝利は新しい頂点を意味していた。全ドイツが彼に喝采し、彼は賞金とゴールドカップを獲得した。
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