ブッダの「死因」あまりに意外だった!【東大卒ニートが解説】
ブッダの死から700年――仏教が超複雑化する中、学者たちの200巻にも及ぶ論争をたったの1文字で論破したインド人がいた。そんな“インドのひろゆき”「龍樹」の波乱万丈な人生と、仏教史に大きな影響を与えた思想「空」について深掘りする。※本稿は、しんめいP(著)、鎌田東二(監修)『自分とか、ないから。教養としての東洋哲学』(サンクチュアリ出版)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 常に変わり続ける世界で 「不変な自分」を作るから苦しい 身体も心も、宇宙規模のつながりのなかで、たまたまいまこうなっているだけ。息を吐くたびに、身体の一部をおっさんと交換してる。飯をたべるたびに、地球と身体がいれかわってる。 心も、天気とか、宇宙の影響をうけてつねに変化してる。 ブッダは、瞑想して、だれよりも「観察」した。その上で、「これが自分だ」といえるようなものは、ひとつもない。と結論づけたのだ。 なにもかもが、無限にいれかわり続けている。「自分」も例外ではない。これが、「無我」なのだ。 そして、ブッダはこの「無我」の哲学から、ぼくらの人生が苦しい原因を、完全解明してしまったのだ。 人生の苦しみの、根本的な原因。知りたくない? 苦しみの原因、それは、「自分」なのだ(!)。 すべてが変わっていくこの世界で、変わらない「自分」をつくろうとする。そんなことしたら、苦しいにきまってるやん。 ひとつたとえ話。小学生の頃、家の近くに、小さな川があり、よく遊んでた。あるとき、世にもおそろしい悪事をひらめいた。川には大きな石がゴロゴロしている。
この石をつかえば、「川、とめられるんじゃね?」とおもった。すぐに犯行を開始した。日が沈むまで、ひとりで大量の石を移動させ、堤防が完成した。 「明日には川はとまり、犯罪者としてニュースになるだろう」と覚悟して、眠れない夜をすごした。 翌日、川をみにいったところ、石の堤防はぶざまに決壊していた。川はギュルンギュルン流れている。「自然、やべぇ~」と思い知った経験だった。 たぶん「自分」とはこの石の堤防みたいなものだ。変化する川を、とめようとすると、めっちゃ苦しい。 すべてが変わっていくこの世界で、変わらない「自分」をつくろうとする。そんなことしたら、苦しいにきまってる。 ● すべての快楽を体験できたブッダが 一番きもちよかったこととは? 具体的にかんがえてみる。 私事ですが、30代になって、白髪がふえてきました。これまでめだつ白髪は、「オラァ」と引きちぎっていたのだが、最近引きちぎる回数がふえすぎて、いたくて涙がでてくる。苦しい。 20代のまま、変化をとめて、「自分」を若いままにとどめようとする。川をとめようとするのと同じだ。めっちゃ苦しい。