ブッダの「死因」あまりに意外だった!【東大卒ニートが解説】
「老い」っていやだよね。でも、「老い」という、「苦」をさけるために、「若い」という、「自分」をつくっている。 その「自分」こそが「苦」の原因だったのだ。 老いはとめられない。楽になるなら、受けいれるしかないのである。いややな~。でもさ、いくら「苦」の原因だからって、「自分」をぜんぶすてたら、どうなっちゃうの?ヤバそうじゃない? ブッダのことばがのこっている。 「おれがいるのだ」という慢心をおさえよ。 これこそ最上の安楽である。(ウダーナヴァルガ30章19) 最上の安楽。 「一番、きもちいい」ということだ。「自分」ぜんぶすてたら、「きもちいい」らしい。ほんまか!? ここで思い出してほしい。ブッダは元・王子である。 「美味しい」「楽しい」「エロい」など、すべての「きもちいい」を経験してきた人である。 そんなブッダが、「一番、きもちいい」といっている事実は、重い。ガチすぎてこわい。 この「一番、きもちいい」の境地を、ニルヴァーナ(涅槃)とよんだのだ。 ブッダは人間である。ふつうに死んだ。死因もちゃんと、記録にのこっている。
● ブッダの教えの解釈が難解に… 再び単純化する天才が登場 ある日、「ブッダさん、マジリスペクトっす!」「おれ、料理したんで食ってください!」て具合の、グッドバイブスな青年から、キノコ料理をもらって食べたら、食中毒になって死んでしまった。 80歳のときである。インドあついからな。食べ物いたむのはしゃーない。 ブッダが死んで、みんな悲しんだ。 そして、「ブッダの教えを、後の時代につたえていくで!」と、弟子たちが、ブッダの教えを、文章で記録して整理することにした。 これが「お経」である。彼らのお陰で、ブッダの教えは「仏教」となって、ぼくたちにもつたわったのだ。 でも、問題にぶちあたった。ブッダの「無我」、むつかしすぎたのだ。 「自分がない」という、わかるようなわかんないような感じ…。 けっきょく、ブッダの教えの解釈をめぐって、弟子のグループが分裂しまくって、何百年も大論争になってしまったのだ。 論争をへて、ブッダのころはけっこうシンプルな教えだったのに、学者しか理解できないような複雑なものになってしまった。 もう民衆の心は、仏教から離れはじめていた。仏教存続の危機である。