中川翔子「“オタクでヤバい奴”って言われていた」自分を救ってくれた“幸せの原体験”
知られざる「しょこたん☆ぶろぐ」の初期コンセプト
──2001年に芸能界に入ってからは、オタクであることが中川さんの存在を引き立てましたよね。 中川 芸能界に入ってしばらくはそうでもなかったんです。2001年頃はまだアニメや特撮が好きだって言いづらい空気もあって。それに、最初グラビアでデビューしましたが、“本当はアニソンを歌う人になりたい”ってずっと悩んでいたんです。そこから、どうせ誰も見ないのだから好きなことを文章にしていこうと思ったんです。 ──そして「しょこたん☆ぶろぐ」が始まると。 中川 芸能界に入って1年くらいして、今の事務所に移ったのですが、箸にも棒にもかからずで、クビ候補だったんですよ。当時のマネージャーさんがなんとか事務所につなぎとめてくれて。 そういうときにマネージャーさんに“写メ付きの日記やっていいですか?”って聞いたら“いいよ。好きにやれば”って言われました。本当は、今でいえばSNSの裏アカみたい感じで愚痴を書こうと思っていたんです。でも、誰かが見たら嫌な気持ちになるし、自分でもあとで嫌な思いを反芻して書くことになるので3倍もネガティブになりそうなので、好きなこと、嬉しいこと、楽しいことだけを書くことにしました。 ──「しょこたん☆ぶろぐ」が大きな話題を集めて、クビ候補の立場から、事務所に多大な貢献をすることになるんですね。 中川 振り返ってみると、やっぱりネットのおかげですね。ちょうど『電車男』がバズった2004年に私もブログを始めていたので。そのときは、それを仕事にしようとなんて思っていなかったですよ。 ──2004年11月にブログを始めて、『特捜戦隊デカレンジャー』にゲスト出演して、そこからめちゃくちゃ忙しい毎日が始まっていくような感じですよね。 中川 びっくりしました。最初は“ネットで活動できてればいいや”って思っていたんです。私の憧れの80 年代アイドルはデビュー=レコードを出すことでしたが、ブログを始めた翌年に『Brilliant Dream』という曲で歌手デビューできて。そして、『天元突破グレンラガン』という作品と出会えて、3曲目のシングルでその主題歌『空色デイズ』を歌い、『NHK紅白歌合戦』に出場が決まって……。 ──声優としての活動も始まっていきますね。 中川 声優業は、一時、オーディションをいくつか受けていたんです。ブログを始めた頃に、『アイシールド21』 というアニメのオーディションが決まって、その時に出会った平野綾ちゃんからいろいろ教わりましたね。そこから、ディズニー・アニメーション映画『塔の上のラプンツェル』で主人公ラプンツェルの吹き替えのお仕事が決まったのが2011年です。 ──結果的にブログを始めたことで、ご自身の趣味が反映された仕事が圧倒的に多くなっていったと。 中川 好きだ、好きだと言い続けていたらアニソンを歌うという夢が叶ったんです。たとえば、なにげないXのポストがネットニュースになったりして、そこから自然とお仕事に繋がっていくこともあるんです。 一方で、私は得意なことと苦手なことがはっきりしていて、歌は楽しく歌えるんですけど、踊りが苦手なんです(笑)。なので、踊る仕事はちょっと“ごめんなさい”させていただくことはあります。