中川翔子「“オタクでヤバい奴”って言われていた」自分を救ってくれた“幸せの原体験”
芸名の漢字を引用したまさかの作品のタイトル
──マンガは、楳図かずおさん作品を愛読していたことが有名です。 中川 実家がすごく古くて、怖い家だったんですよ。足音みたいなラップ音が聞こえて……。寝るときは2階の母の部屋に行かなきゃいけないんですね。 その部屋は蛍光灯が壊れたままになっていたりして真っ暗なんです。そして、いつも押入れの扉がちょっとだけ空いていて、中に楳図かずお先生の漫画がぎっしりと格納されていました。母が集めていた昔の少女漫画誌に『ママがこわい』とか『へび少女』とかが掲載されていたりして。 めちゃくちゃ怖いけど、小さい頃に読んでハマっていきました。中学時代は、松田聖子さんとか戦隊とかアニソンとか、好きなものが作ったほうが学校のしんどいことを忘れられるんだなと気づいて、『漂流教室』を買い直したんです。そうしたら、面白すぎて! 実は芸名の中川翔子の「翔」の字は、主人公の翔ちゃんからいただきました。麻酔なしの盲腸手術を受けた、強い翔ちゃんですから。 ──まさかの高松翔が元ネタでしたか。ちなみに、その手術は執刀したのも小学生でしたよね。親が医者だという理由で。 中川 そうですよ! それで、結局本名も「翔子」に改名しましたから。大谷翔平さんと同じ文字ですし、とても気に入っています。 ──お話をうかがって、中川さんはオタクにならざるを得ない環境で育ったことがわかりました。 中川 一人っ子だったので、祖父にはめちゃめちゃ可愛がってもらっていました。スーパーファミコンのソフトなんかをいっぱい買ってくれましたし、一人っ子に生まれたことが最高でした。一人で好きなことを好きなだけやれたので。お留守番が無限にできて、絵を描いて、ゲームをやって、猫と一緒に過ごして。それから、子守唄のように「コロちゃんパック」を……「コロちゃんパック」ってわかります? ──アニメや特撮の絵本と音楽メディアがセットになっているヤツですね。 中川 それです! そのカセットを毎日聴きながら寝ていたので、脳に刷り込まれたんでしょうね。我が家はそんなに裕福とかでもなかったんですけど、母がマンガも含む本や、「コピック(アルコールマーカーの商品名。カラーイラストやマンガを描く際にも用いられる)」とかを惜しみなく買ってくれていたんですよね。それから、中野生まれなので、母が中野ブロードウェイに頻繁に連れて行ってくれました。中野ブロードウェイでは、マンガ、アニメ、レトロ文化とかサブカルとか、そうしたものに常に接していました。 ──中学生時代はどんなふうに過ごしていたのですか? 中川 今は一億総ライトオタク時代ですけど、かつてはオタクが謎に虐げられている時代があったじゃないですか。中学の頃は、“なんで絵を描いていると悪口言われるんだろう”って、ふさぎこんじゃったんですけど。 そういうときにベッドの下から「コロちゃんパック」のカセットが出てきて、それを久々に聞いたら、あの頃の幸せに包まれて“こんなにアニソンって深い世界だったのか”って思い、アニソンを研究し始めて。特撮にハマって毎週『タイムレンジャー』のヒーローショーで握手会をループして……そういう感じでした。“あいつオタクでヤバいじゃん”って言われていた中学生で……確かにオタクでヤバかったんですけど、中3ぐらいから開き直りました!(笑)