橋本英郎が指摘する“お山の大将”問題。「サッカーが楽しい」と思える理想の育成環境とは?
小学6年生の頃、地元の街クラブのエースストライカーでキャプテンだった橋本英郎は、中学入学と同時に入団したガンバ大阪ジュニアユースで、100人中最下層という人生最大の挫折を経験。入団当初は毎日やめたいと嘆き、練習前には「雨よ降れ」と念じる日々を送った彼は、当時「仰ぎ見る天才」だった稲本潤一ら同期にもまれながら、橋本はいかにしてプロ契約を勝ち取り、日本代表に至る選手にまで上り詰めたのか。そこで本稿では、橋本英郎の初著書『1%の才能』の抜粋を通して、“持たざる者”の一つの成功例を紹介することで、特別な能力がなくてもプロとして成功するためヒントを探る。今回は「サッカーが楽しい」と思える理想の育成環境ついて。 (文・写真提供=橋本英郎)
サッカーを続ける難しさ
私がプロサッカー選手になれた大きな理由の一つに、オフ・ザ・ピッチでなんとかモチベーションを保ちながら、ピッチの中では「考えてプレーする」という誰もが持てる、しかし、心強い味方になる武器を磨けたことがあります。 プロサッカー選手という目標に向かってがんばっている子どもたちを見ていると、ジュニア年代からサッカーに真剣に取り組みながら、「サッカーを嫌いにならない」ことも大変だなと思ったりもします。 私が13歳、ジュニアユースに入団した直後に人生最大の挫折をしたことは、いまになってみればかえって幸運だったと思います。もちろんそのときの落ち込みはひどく、タイムマシーンでその頃に行って「お前それでいいんやで」と言ってあげたいくらいです。まぁ、当時の橋本少年は絶対に信じてくれないでしょうが……。とにもかくにも、小学生でお山の大将を気取っていた私がそのまま小さな小さなお山の大将でいる環境でサッカーをやっていたら、絶対にプロにはなれなかったでしょうし、おそらくサッカーをやめていたでしょう。 「100人中最下層」からのスタート、自分には特別なサッカーの才能はないと公言してきた私だから言えることかもしれませんが、育成年代で伸びる選手、伸びない選手を分けるのはほぼ環境です。すべて、と言ってもいいでしょう。 もとからあふれる才能を持っていて、どんなルートからもプロにたどり着いたよねという人は別ですが、順調に成長すればプロになれるかも? くらいの選手がプロにいけるかどうかは、自分が成長できる環境を見つけ、そこを選べるかにかかっています。